法話7:人間の本質は「傲慢」

人間の本質は「傲慢」、つまり「自己中心」です。自分に都合の良いことを選択し、自分の考えが正しいと思い込み、自分に都合の悪いことは見ない、認めない。

この人間の本質から、様々な「嫌な事象」が世の中に発生します。「傲慢」になっている人は、自身が「傲慢になっている」ことに気がつきません。特に、地位や名誉、財をなしている人は、この「傲慢」の状態に陥りやすい。

「戦争」も、この人間の本質から派生しているし、インターネットで問題になっている「誹謗中傷」も、近所同士の喧嘩も、職場、友人、家庭内のいざこざも、すべて、この本質から派生します。「傲慢」が、コロナウィルスのように社会に蔓延すると、修羅(しゅら)の世界(いつもイライラし、何かに怯え、落ち着かない状態)になっていきます。

「宗教」とは、「人間が幸福になるための生き方」を教えています。

一つの視点は、「人知を超えた神仏が存在しており、いつも神仏に見られている」と意識していることです。子供の頃、「現世で悪いことをすると、地獄に落ちる」とか、「嘘をついたら地獄で閻魔さんに舌を抜かれる」とかお聞きになったことがあると思います。この時代、親に信心があり、子供に、このような教育をしていました。「地獄」という存在を信じていました。ここで、「地獄の存在を信じている子供」と「信じていない子供」、どちらが幸せになれるでしょうか?結論から言うと「地獄はある」と信じている子供のほうが幸せになる確率が高くなります。山中でゴミを捨てる人、バーベキュー後にゴミを放置する人。誰かに見られていたらゴミは捨てないけれども、後のゴミの処分は面倒、誰にも見られていないから、その辺に捨てちゃえ!というところでしょう。こういう人は、修羅の世界に陥る確率が高くなります。

もう一つの視点は、人として越えてはならない最低限のルールを宗教は示します。ここでは割愛しますが、仏教の教え「五戒」がその一つです。日頃出くわしている場面の中で、様々な誘惑にかられることがありますが、それをしてしまうと不幸になるよという教えです。「傲慢な人」は、この一線を越えてしまい不幸になる確率が上がります。信心のある人は、そのような場面に出くわしたとき、「ちょっと待てよ」と踏みとどまれるわけです。結果として不幸になる道に入らないですみます。

今の日本は、修羅の世界に陥っている人が増えているように思います。「私は無宗教ですが、科学技術は信じます。」という人が増えているように思います。日本で修羅の世界に陥る人が増えている大きな要因がここにあるのではないかと思います。宗教の無い国というのは、ほとんどありません。無宗教ですという人が増えている国は、最近では日本ぐらいではないでしょうか。「科学的根拠」という言葉もよく耳にします。しかし、科学でわかっていることは、物質面の探求が主で、また、この世界の理解については、まだほんの少ししかわかっていない。すべてのことが科学でわかったように思うことも「傲慢」の領域です。そして、人の心の動きについては、まだまだ科学は遅れています。日本でも世界でも、日々いろんな事件が起こりますが、ほとんどの事件が、この「傲慢」から派生していることに気づきましょう。また修羅の世界に陥る大きな要因が「人間の本質である傲慢」にあることに気づきましょう。「自己中心」の物の見方をしていないか、心を覆っている偏見が無いか注意しましょう。お釈迦様の基本理念「慈愛と利他」の精神をもって、「客観的」に自分や周囲の状況を観察し洞察することで、本当のことが見えてきます。お釈迦様の理想とする世界は、「傲慢」が無い世界です。それは、とても居心地のよい世界でしょう。

宗教や信心というのは、「人間の傲慢を打ち消してくれる」というのがポイントです。結果として人々を幸せに導いてくれます。神仏は、いつでもあなたを観ていますよ。