壊れたホームページの復旧がようやく終わりました。延べ3日かかった。。。。。
レンタルサーバーの移管が、そもそもの始まり。サーバーの移管(データ移動)は極い作業だわ。。。。。
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膨大な寺ブログを、かなり復旧。2023年以降の消えた写真とかの復旧は、まだ時間がかかります。 ふううーーーーー
お葬式から始まり、満中陰(四十九日)、一周忌、三回忌、七回忌と法事が続きます。これらは追善供養といいます。以前、女子高生から、「なぜ供養をしないといけないのですか?」という質問がありました。住職はびっくり。住職の経験上、供養をきちんと行っている家と、そうでない家とでは、後々、差がついてきます。供養を行っている家は栄え、行っていない家は衰退していきます。
なぜ、法事・供養を行うのでしょうか? 法事・供養には下記の3つの意味があります。
1.先祖・故人に感謝すること
今、皆さんがここに存在していること。これは、両親、祖父祖母をはじめ、先祖代々が命を繋いできたからです。命を繋ぐとは、けっして容易なことではありません。人生において、若い間は楽しいこと、嬉しいことも沢山あります。しかし人生山あり谷あり。仕事では順調なときも、苦しいときにも遭遇します。離婚してしまう人もいるでしょう。後半には、さらに辛いことも増えてきます。親族や両親、友人を見送ったり、病気もするし、老いて苦しんでいったり。人生とはそういうもの。そうやって先祖は、苦しい人生の中にあっても、なんとか生きてきました。そして命を子孫に繋いできているのです。誰かが、命のリレーを途中で放棄していたら、今、あなたはここに存在していないのです。ですから、先祖が苦労して繋いできた結果の命ですから、自身を大切に育まないといけません。そして、苦労しながら命を繋いでくれた先祖・故人に感謝をする、これが供養の1つ目の意味です。
2.先祖・故人を思い出してあげること
苦労して命を繋いでくれた先祖に感謝するとともに、たまに思い出してあげること。これが供養の2つ目の意味です。三回忌、七回忌、十三回忌…と法事が続きますが、こういった法事は、故人を思い出してあげる機会となります。そして、親族・縁者が集い、故人を偲ぶ機会となり、そこでの情報交換、連帯も大切なことです。
3.人の生き様・死に様を見て、自分の生き方を省みること
先祖・故人の生き様・死に様を見て、自分の人生を省みること。どのように生きるのがよいのか考えること。これが供養(法事)を行う3つ目の意味です。法事で故人を思いだして、親族・縁者と、こうだった、ああだったと思い返すとき、それでは今の自分はどうなのか?と省みる、反省することです。また法事ではお坊さんが、いろんな法話をしてくれます。仏教は、「人として、どう生き、どう行動すると幸せになれるのか?」を説いています。五戒・三毒・八正道・座禅/瞑想の効果等々。これを聞く機会としても供養には意味があります。
五戒は、「むやみに生き物を殺してはいけません」「人の物を盗んではいけません」「嘘をついてはいけません」「不倫をしてはいけません」「お酒を飲んで(酔って迷走して)はいけません。」とありますし、八正道の中には「言葉使いは丁寧に。暴言を吐いてはいけません」が含まれているし、人間が陥りやすい三つの毒(三毒:貪り・怒り/憎しみ・愚痴)には特に注意しなさい、などなど。これらは実践していると、自分の脳が痛んできます。心が病んできます。そうすると平常・冷静な脳(心)が保てなくなります。その結果、判断を間違えるようになります。実践していると、いつも誰かに狙われているとか、いつもビクビクして落ち着かない状態に陥ります。心が平穏でなくなるという修羅の世界に入ってしまいます。
最近ニュースでよく報道されるような、芸能人で不倫した人は、心が平穏ではいられない状態になっているでしょう。人の物を盗んだり、嘘をついたりしている人も、人に暴言を吐いている人も、いつも落ち着かない同様な状態になってしまいます。
お釈迦様は、人間という生き物が陥りやすい闇を観察・洞察してよく知っていました。子供の頃からお釈迦様の智慧を知っていたなら、こういった闇に陥ることもなかったはずです。
供養を行っている家は繁栄し、行っていない家は衰退するというのは、自分の生き方を省みる、お釈迦様の教えを聞く機会ができるということに、一番関係しているように思います、
地位も名誉も財産も手に入れた人が、最後に悩むこと。「本当に自分は幸せになれているのか?」本当の幸せとは、日常の平穏・心の平穏ではないかと気づきます。禅が目指すのは心(脳)の平穏と正見(正しい判断)です。朝、日が昇り、ご飯を食べ、家族の笑顔を見て、また日が沈むといった、淡々とした平穏な日常。これが一番の幸せだと気がつけるかどうか。
人類誕生以来、この問いに人々は向き合い、いろんなことを想像してきました。職業上、亡くなった方と対面することが多い中で、住職もいろいろ思考してきました。
科学技術が発達し、我々が住んでいる世界、この宇宙の謎も、まだほんの少しだけですが、わかってきたこともあります。宇宙はビックバーンから始まった。そして宇宙は膨張し続けている。さらに、我々が住んでいるこの宇宙(世界)は、なんらかの法則が支配している。物を投げれば落ちてくる物理法則も、その一つ。生まれた生物は必ず死ぬ、寿命があるというのも法則の1つ。現存するすべての物質は常に劣化し変化していくことも、この世界の法則。科学技術者は、この世界(宇宙)を支配している法則を見つけようと、様々な研究を重ね、物理学、電磁気学、量子力学、相対性理論等々、法則の一部を理解するに至っています。科学技術は、理論・実測・実証という過程を経て、法則(真理:絶対普遍な事象)を見出していきます。
一方、人間の持つ観察力・洞察力で、この法則を見出した人物がいました。お釈迦様(ゴータマ・シッタルーダ)です。お釈迦様は2500年程前におられた人物ですが、好奇心旺盛で、観察力と洞察力がずば抜けた超人であったように思います。(お釈迦様の生い立ちから亡くなるまでの生涯については、ここではお話をしません。)
お釈迦様は、その超人的な観察力と洞察力により、我々が住んでいる、この世界(宇宙)について、現在の科学技術で少しわかり始めた宇宙(世界)の構造を、2500年程前に、すでに理解していたと思われます。お釈迦様が説かれた「般若心経」には、我々が住む世界(宇宙)について記述されています。
「般若心経」は、全600巻で構成された「大般若経」という経典の、エッセンスだけを抽出し、280文字程度にまとめた経典です。(ふりがながありますが、皆さんがよくご存知の読み方と異なっていますね。元々はサンスクリット語で読まれていた経文を、玄奘三蔵法師が漢字に翻訳し、黄檗宗では中国明時代の発音で読むので、このような発音になっています。日本でよく読まれる発音は漢字の音読みです)
この「般若心経」には、我々が住んでいる世界(宇宙)のことが書かれています。「般若波羅蜜多」とは、「理想郷に行くための智慧」という意味。この経文は、読むだけでご利益があるとされ、お経の中でも一番有名ですね。呪文の部分もありますが、実は、ちゃんとしたお話として書かれています。この法話では、この世界に関する記述の部分についてのみお話をします。
・「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。」
観音菩薩は、理想郷について深く考えていた時に、世界を構成する要素は五蘊(色・受・想・行・識)であり、それらはすべて空(くう)であることがわかった。これがわかれば、すべての苦しみから逃れることができる。
注)五蘊(ごうん)とは、世界を構成する、すべての要素。
1.色(しき)=物質・肉体(魂)
2.受(じゅ)=魂が行う感覚
3.想(そう)=魂が行う思考
4.行(ぎょう)=魂が行う行動
5.識(しき)=魂が行う認識
注)空(くう)とは、これまで「空っぽ・何も無い」と訳されてきたが、「空」を「実在する場」と理解すると、般若心経に書かれている内容がより明確となる。
・「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。」
舎利子(シャリープトラ)よ。色(しき)は空(くう)とは異ならない。また空(くう)は色(しき)とは異ならない。色(しき)は空(くう)そのものであり、また空(くう)は色(しき)そのものである。色(しき)が行う「受想行識」もまた同じである。
注)舎利子(シャリープトラ)とは、釈迦の弟子の人物名
・「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。」
空(くう)の一部である空相(我々の住む世界・宇宙)は、諸法が支配しており、諸法は、生せず、滅せず、垢れも浄くも無いし、増えもしないし、減りもしない。
諸法とは、我々が住んでいるこの世界(宇宙)を支配している法則。物理法則もその一つ。すべての物は「無常(常で無い)」、常に変化していくというのも諸法の1つ。生老病死も免れることはできないし、愛別離苦(愛する人とは必ず別れが来る)苦しみも諸法。
・「是故空中。無色無受想行識。無眼耳舌身意。無色聲香味觸法。」
それゆえ、空(くう)の中においては、色(しき)も無く、受想行識も無い。目で見ることも、耳で聴くことも、舌で味わうことも、身で感じることも、意識することも無い。
つまり「般若心経」には、
「我々が住んでいる世界(宇宙)は、空(くう)という場から生じた一部である空相であり、その空相の中で我々は生命活動を営んでいる。」
「空(くう)」に入れば、そこには肉体(魂)も無く、受相行識も無ければ、体で感じる音も味も触覚も意識も無くなるのだとと言っている。
「色即是空・空即是色」とは、我々の色(魂)は空(くう)の世界と繋がっており、そこへ行ったり来たりするのだよと言っている。
現代の科学技術で少しわかってきたこと。宇宙がビックバーンから始まった。ではビックバーンの前はなんだったのか?それが空(くう)という場であろうと思われる。ただし、空(くう)は、時間も空間も無い、エネルギーだけが満ちている場で、人間の肉体(魂)や五感では、感じたり認識できないエネルギーフィールドである。最近の素粒子論では、ヒモ理論が登場し、素粒子もいくつかの種類に分類され、それらが世界を構成しており、そこから導かれたのは、我々が住む次元は3次元+時間の世界だが、素粒子の理論から、世界は11〜12次元ぐらいあるとか。3次元に住む我々は見ることのできない次元が、確かに存在しているようです。その一つの次元が、たぶん「空」の次元なのでしょう。
「般若心経」の後半には、「これは真実で、嘘ではない。これがわかれば、恐怖することは何も無くなるよ。」と書いてあります。科学技術が発達したからといって、我々が住むこの世界について、すべてを知ったわけではありません。人間の目では見えないもの、認識できないものが、まだまだあるはずです。自分の目で見たこと、自分の意識で理解した事象だけで、すべてのことがわかったと思うのは人間の傲慢です。鋭い観察力と洞察力で、この世界の真理を見抜いたお釈迦様は、人間は死んだ後も、空(くう)の世界に展開したり、戻ったりするのだとと教えてくれています。我々が住む世界がどうなっているのか、この世界を支配している諸法「無常」を理解すれば(正見)、「死」すらも、あまり怖いことではなくなるということをお釈迦様は説いているように思います。
(追伸)
仏教の教えの根源であるお釈迦さま(ブッダ)のお話を追記しておきます。
ブッダは、苦しみはどこから来るのか、その原因は何かを知ろうとして、6年間、苦行をしてみました。しかし、苦行しても、その原因を掴むことができず、苦行をやめ、洞察に入りました。そして、洞察により、以下の真理を発見しました。
・苦しみは明らかに存在している
・その苦しみには、原因がある。
・苦しみの原因がわかれば、苦しみは減らすことができる。
・苦しみを減らす8つの方法がある。
この4つの真理を四聖諦(ししょうたい)といいます。そして、苦しみを減らす8つの方法を「八正道(はっしょうどう)」といいます。八正道の1つが「正念(しょうねん)」。英語では「Mindfulness(マインドフルネス)」です。
四聖諦、八正道、正念のお話は、ここで書くと長くなるので、「マインドフルネス講座」のページをご覧ください。
もし、読者が苦しんでおられるのであれば、その苦しみを減らす方法をひとつお話しておきます。ブッダは苦しみの原因は、自分の心の中にあると言っています。今、コロナ禍で苦しんでいる人、あるいは病気・事故・人間関係などで苦しんでいる人がたくさんおられます。住職は「住職のなんでも相談室」を設けています。様々な相談がありますが、すべての方にお話を差し上げるとしたら以下のようなお話になります。
自分が中心で世界が回っているわけではなく、自分が存在しようが、しまいが、この世界や自然は淡々と進んでいきます。しかし、この世界や、我々を取り巻く自然は、この世に生きる、すべての人間、生物に、大きな愛情を注いでくれています。まず、そのことに気づきましょう。そして、苦しみの原因が、自分の心、自分の中にあることに気づきましょう。ブッダは、そのことに気づき、我々に教えてくれています。苦しみの原因は何かを突き詰めると、それは、自分自身の命や、自分の財産、自分の大切な人、大切な物などを、守りたい、失いたくない、あるいは失ってしまったという不安や後悔(執着心)から苦しみが生まれていませんか?そういう守りたいもの、守りたかったもの、失った事象を一度捨ててみましょう。あきらめてみましょう。これは、投げやりになれと言っている訳ではありません。ブッダは、「この世に存在するものは、すべて無常である」ことを発見しました。「無常」とは「この世に存在するものは、すべて常で無い、常に変化している。永遠に続くものはひとつも無いのだ」という意味です。人生がうまくいかないのも、そもそも、この世界はそのようにできているのだということ、それが普通なのです。病気も同様です。緻密で精巧な細胞と臓器を持つ人間の体が何十年も壊れずに存在できていたなら、そのほうが奇跡的なことで感謝すべきことです。壊れて病気になるほうが普通なのです。これが、我々が住む世界の真理です。思うようにいかないのが普通。真理なので、我々が、いかにもがいても変わらないということです。
「この世は無常なのだから、しかたがない、あきらめるか。。。」としてみましょう。「頑張ってきたけど、もう無理だな。。。これは、どうしようもないな。いったん、あきらめるとするか。。。。」としてみましょう。苦しんでいる事象をいったん手放してみましょうということ。すると、あら不思議。今まで苦しんでいた心が解放され、不安の無い、冷静な心の状態が戻ってきます。そのとき、あなたは気がつくはず。「自分の苦しみは、自分の周囲に原因があるのではなく、自分の心が生み出していたんだなあ。」と。あるいは、羞恥心を捨て、素直に、近くにいる人や住職に相談してみるのもよいでしょう。素直に。
もし、財や名誉や物を失うことの不安だとしたら、話は簡単。別に失ったっていいじゃないですか。財や名誉や物であれば、失っても、また取り返せるかもしれないし、取り返せなくても、あした、また太陽が上ってくるのを見ることもできるし、すがすがしい息もできるし、貧しくても、おいしいお米を食べれるし、家族や友人と会って話をすることもできる。まずは、それで十分ではないですか。禅の用語で、「足るを知れ(たるをしれ):知足(ちそく)」といいます。
これは投げやりになれと言っているわけではなく、執着心を一度捨てる、あきらめることで、自分のマインドを不安の無い、正常な状態に戻すための知恵なのです。そして正常なマインドに戻った状態(正見・正思)で、また、次の一歩を考え、踏み出せばよいのです。その状態に戻れば、「この世界や、我々を取り巻く自然は、この世に生きる、すべての人間、生物に、大きな愛情を注いでくれているんだ」ということに気づけます。
釈迦の教えは多岐にわたるけれども、簡単に言えば、「あなたが当たり前にあると思っているものは、ただの一つも無いということ。」
あなた自身も、あなた自身の周りのものも、あなたの周りの状態や事象も、すべて当たり前にあるものではないということ。そのことに早く気づきなさい。
このことに気がつくと、あなたは幸せになれます。
神社や寺院にお参りに行って、お願い事をする方は多いと思いますが、願い事をかなえる確率を大きくアップする方法を、ひとつお話しましょう。
漠然と曖昧にお願いをしていたのではダメなんです。それでは、なかなか願い事は叶いません。
では、どうしたら良いか?それは、願い事がかなった状況を、意識の中で具体的にイメージすることです。自分の意識の中で映像としてイメージするようにしましょう。そして、意識の中のイメージを、より具体的に、細かい部分までを映像化してイメージするのです。できれば毎日イメージを深めるように。細かい部分まで具体的に映像としてイメージするように進めていくと、あら不思議!いずれそのイメージ通りのことが訪れたり、願い事を叶えるヒントを掴めますよ。
まだ科学的に解明されていない人間の意識というのは大きな力を持っています。意識は次元を超えて作用し、3次元の物質世界にも影響を与えるのです。
願い事が叶った状況を、意識の中で映像として描くことが重要なポイントです。
春になりました!お釈迦様の誕生日4月8日(灌仏会)をお祝いする花まつり。
お釈迦様はお生まれになって、すぐに、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とお話になったそうです。
「天上天下唯我独尊」とは、天上天下(東西南北の四方とその間を含めた八方に加え、上下を加えた十方(じっぽう)を表し、この大宇宙全体を意味します。
「唯我独尊」とは、この大宇宙の中に、ただ唯一の命を受けたことは奇跡的であり、その命の尊さを理解し、慈愛と慈悲の心を持って接しましょう。という意味です。
現在の世界は、残念ながら、戦争、暴力、暴言、誹謗中傷などが溢れかえっています。一人一人が、かけがいのない、唯一無二の存在なのです。慈愛・慈悲の心をもって、人も動物も環境も大切にしましょう。
お釈迦様がお生まれになり、「天上天下唯我独尊」と言い放ったときの像に甘茶をかけて、その教えを心に刻み皆さんとお祝いしましょう。
古来より、人類は霊(意識体)と肉体を分けて感じていました。ところが、最近は、肉体が無くなると、霊(意識体)も無くなると考える人が増えてきました。なぜならば、肉体の脳や体があって、その肉体が脳が意識の働きを持つと科学的に考えるからです。意識を発生させるのは脳や肉体だから、その脳や肉体が無くなれば意識も無くなるという論理です。
このような論理は、実は命を粗末に扱い、人を不幸に導くものです。死んだらおしまい、何もなくなるという認識をしていると、どうせ死ぬんだから何をやってもいいや!とか、命あるものを大切にしなくなるなど非人道的にもなりますし、人生を生きる意味も無味乾燥なものになるでしょう。
ところが皆さん、先に意識体があって、その意識体が肉体を借りて、この3次元物質世界に現れているとしたらどうでしょうか。
意識体は、我々が認知できる3次元の物質世界だけではなく、より高次元の世界に展開されており、高次元の世界から3次元の世界に肉体という物質を借りて現れているのです。
高次元の世界には3次元の物質は入ることができません。高次元の世界とは3次元の世界から見ると情報の世界です。意識体は、様々な経験を情報として持っています。たとえ脳や肉体という3次元物質が無くなったとしても、借りていた物質としての肉体が無くなっただけであり、意識体は3次元や高次元に意識を持って存在していると考えます。
意識体は情報の世界である高次元の世界から3次元の世界へ展開するときに肉体という借りものを借ります。その肉体はどのように形成されるかといえば、ある情報をもとに3次元物質の肉体(生命)を形成します。その情報とは遺伝子です。遺伝子には生命体を形成する情報が刻まれていますが、この情報の元は意識体にあります。
意識体が先にあって、この意識体が我々の住む3次元の世界に現れるときに、意識体の情報が刻まれた遺伝子に基づいて肉体という物質を形成して、この世に生命として生まれるのです。
肉体(生命)は、3次元物質世界にいる間のいっときの借りものなんです。この世界に命として肉体を頂いている間、この世界に存在している貴重な時間を、大いに有効に使い、また大切に扱いましょうね。さらに徳の高い高度な意識体になれますように。