禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
禅を体得した者は、
不思議なことに、自然界の構成は、たいてい対になっている。プラスの電気があれは、マイナスの電気がある。物質があれば反物質もある。これらの対は、合体すると3次元の世界から消滅する。消滅するが、そのエネルギーは別次元で残っている。
意識にも、ポジティブな意識とネガティブな意識がある。
ポジティブな意識は、自分の体にも、周囲の人にも、この3次元世界にも良い影響を及ぼす。
ネガティブな意識は、自分の体にも、周囲の人にも、この3次元世界にも悪い影響を及ぼす。
釈迦の教えに「身口意」がある。「身」とは行為、「口」とは言動、「意」とは意識である。
悪い行為(殺し、暴力、嘘をつく、騙すなど)、悪い言動(暴言、妄語)だけでなく、悪い意識を持つ(悪いことを考える、妄想する)のも良くないと教えている。
悪いことを思う、不安になるだけでも意識のエネルギーが、悪い方向に進ませる。悪いことを引き寄せてしまう。
逆に、良い意識を持つと、良い方向に進ませ、良いことを引き寄せてくる。
意識を向けることで、3次元世界にも、高次元の世界にも、関与することができる。
昨今の様々な悲惨な事件の裏には、「無関心」が関与しているのであろう。
体は単なる物質ですが、意識は喜怒哀楽、痛み、苦しみ、喜び、愛することなど、感情を持ちます。
体は、この3次元の物質の世界で与えられた、いわば借物。自分の体のあちこちに意識を向けて、いたわってあげる、体のあちこちに呼吸を送り込み感謝を伝えると、体には良いのです。
この物質の世界で、意識は体をもらって、様々なことを感じ、体験できていることに感謝の念を送りましょう。
意識は、3次元物質の世界を越えて高次元世界まで展開しています。物質の体がこの3次元世界から消えたとしても、意識は高次元まで展開し残っているのです。
この3次元世界で得た知識や経験は、意識の成長となって次元転換、輪廻しながら成長していきます。
この3次元世界で物質の体を使って、五感で感じ思い存分楽しむことにしましょう。
元来、人は仏性を持っているとお釈迦様は説いてきた。仏性とは、慈愛・慈悲の心。愛情とは、相手を大切にしようとする気持ちである。
しかし、昨夜は、見知らぬ人を刺す通り魔的事件が長野で発生したり、関東では闇バイト事件が多発したり、誹謗中傷で自殺者を出したり、店員や駅員さんに暴言・暴力を振るう、紛争や戦争で多数の人命を奪うなど、今の社会を見ていると、仏性の無い人が増加傾向にあるように思う。
このような仏性の無い人のことを、住職は「物質の人」と呼んでいる。
第二次世界大戦後、日本は科学技術で発展し、生活を豊かにしてきた。高度経済成長時代は物に溢れ、世界的にも、物を所有することが幸せになることだという物質に溺れる生活になった。その結果、人の体や脳が、人の意識を生み出しているのであって、死ぬと体や脳が無くなるので意識も消滅するのだという物質を中心にした物の見方に変わってしまっている。物質の体があって、物質の体が意識を生み出しているという見方であるが、これは間違っているのである。
実は、先に意識があり、体は意識の情報に基づき生成される。高次元に存在する意識体が、この3次元の物質世界に現れるとき、物質である体を得て、この世界に出現するのである。体は、生まれてから死ぬまでの、一時の借り物なのである。
意識体が物質の体を構成するときに使う情報はDNAである。3次元世界よりも高次元の世界が存在しており、この世界は意識体の世界であり、物質が入り込めない情報の世界となっている。
意識体は元来、お釈迦様が説くように慈愛と慈悲という仏性を持っている。人だけでなく、動物も植物も生命は皆、仏性を持っている。生命は元来、仏性を備えている。
ところが、慈愛・慈悲の心、仏性が消えてしまった人が、世界に増えつつある。生命としての人から仏性が消えてしまったとき、それは人なのであろうか?と考える。それは人ではなく、人の形をした単なる物質である。動いてはいるが、慈愛や慈悲の心も無く、ただ飯をくらい、排泄し、動いているだけの物質になっている。そのような人を、住職は「物質の人」と呼んでいる。
生命には寿命がある。それは、高次元の意識体が、この3次元の物質世界に現れるための一時の借り物の体だからである。寿命が尽きたとき、あるいは、体は物質であるから、病に侵されて体を失うこともある。しかし、物質の体が無くなったとしても、意識体は存在し、高次元の情報の世界へと戻っていくだけなのである。
動物はむやみに殺しを行わない。動物は仏性を持っている。物質の人は動物以下の魂である。お釈迦様は、人は「貪瞋痴」の三毒に侵されやすい生き物であると説いた。「貪(とん)」は貪り、貪欲。「瞋(じん)」は怒り、憎しみ、「痴(ち)」は愚かな行為、妄想。三毒は人を「物質の人」に変えてしまう。注意せよ。これ以上、「物質の人」が増えませんように。
現代の生活も、科学技術も、経済も、物質を中心にする物の見方に偏ってきています。その結果、紛争や誹謗中傷や悲惨な事件が増えてきました。
この世界は、3次元の物質空間ですから、物質を中心にした物の見方になるのは、致し方ないかも知れません。
しかし、あなた(意識)が存在している本当の世界は高次元の精神世界。あなたは3次元物質世界に、ほんの一時の間、物質の体を借り受けて、物質の体を使って様々な経験を積まされているのです。
このことに気づくと、本当の自分や本当の世界を感じることができ、そして、イライラすることもなく、穏やかな心と感謝の念を持って生活することができるようになります。また、人や動物、植物、環境にも優しい心で接することができるようになります。
物質まみれの生活を送っていたり、いつもテレビを見ながら何かしたり、スマホを手に持ちながら別のことをやったりなど、意識を集中させず、常に失念させる「ながら生活」を送っていたり、また不平・不満・不安を常に抱えて生きていたりすると、送受信機である脳の働きが弱り(集中力低下)、高次元にある元来の自分の意識との接続が切れはじめ、ついには、意識(魂)と情報交換できなくなり、魂が抜けた物質の体だけになってしまう。
こうなると、その人は、単なる物質の体を持つ動く物となり、元来生命体に備わっている仏性は消え、体の欲求だけを追求する物体へと変わってしまう(住職は、このような人を「物質の人」と呼んでいる。)
認知症も進行すると、脳の機能が低下し、高次元にある、元来仏性を持っている自分の意識と送受信できなくなり、やがて物質の人になっていく。
「物質の人」は、体の欲が行動の動機となるので、元来生命体の意識に備わっている慈愛・慈悲の心は消えてしまって、自分中心の生き方をするようになる。
最近、「物質の人」が増えている。動物も植物も生命体として仏性を持っているが、物質の人は動物や植物以下の物体になってしまうのだ。
物質まみれの生活を送っていたり、いつもテレビを見ながら何かしたり、スマホを手に持ちながら別のことをやったりなど、意識を集中させず、常に失念させる「ながら生活」を送っていたり、また不平・不満・不安を常に抱えて生きていたりすると、送受信機である脳の働きが弱り(集中力低下)、高次元にある元来の自分の意識との接続が切れはじめ、ついには、意識(魂)と情報交換できなくなり、魂が抜けた物質の体だけになってしまう。
こうなると、その人は、単なる物質の体を持つ動く物となり、元来生命体に備わっている仏性は消え、体の欲求だけを追求する物体へと変わってしまう(住職は、このような人を「物質の人」と呼んでいる。)
認知症も進行すると、脳の機能が低下し、高次元にある、元来仏性を持っている自分の意識と送受信できなくなり、やがて物質の人になっていく。
「物質の人」は、体の欲が行動の動機となるので、元来生命体の意識に備わっている慈愛・慈悲の心は消えてしまって、自分中心の生き方をするようになる。
最近、「物質の人」が増えている。動物も植物も生命体として仏性を持っているが、物質の人は動物や植物以下の物体になってしまうのだ。
現高齢世代がよく使う言葉で、一見良いことを言っているように聞こえますが、私はこの言葉が嫌いです。
なぜなら、私は私、あなたはあなたと捉え、そこに障壁を作っています。「迷惑をかけないように!」とは、私もあなたに迷惑をかけないので、あなたも迷惑をかけるな!と言っているのです。この言葉を使う人は、自分は誰にも迷惑をかけていないと思っている人でしょう。では、あなたは、本当に迷惑をかけていないのでしょうか?
正しく物事を見れば、あなたは生きているだけで人様にも環境にも生物にも迷惑をかけています。例えば生物を殺して食べていますね。これだけでも迷惑です。皆、迷惑をかけて生きているのです。
そして、この言葉は、昭和後期から平成の間に蔓延し、関連する言葉として「自己責任」という冷たい愛情の無い観念を生み出しています。
「人様に迷惑をかけるな!」は傲慢で愛情の無い言葉です。生きているだけで迷惑をかけていることを認識して、迷惑をかけている対象に「日々、感謝する」というのが正見です。
多くのことに支えられて生きていることに気づき、そして感謝しなから生活しましょう。
生まれてから死ぬまでの(短い)間の行動や経験は、すべて魂に刻まれ蓄積される。
我々が住んでいるのは3次元(物質の世界)。
悪い経験は修正を求められ、良い経験は魂を成長させる。そして転生するときには、魂を成長させるために必要な次元へ送られる。(六道輪廻 : 人間界、修羅界、畜生界、天上界、餓鬼界、地獄界)
魂が物質の体を与えられ、再び、この世(物質世界)に現れたとき、神仏の期待は、悪事をはたらくのではなく、沢山の愛情を受け、また、沢山の愛情を注ぐ経験を積んでほしいと願っている。なぜなら、この経験が魂を成長させるからである。
この世に生かされている意味とは、魂を成長させるためなのです。生まれてから死ぬまでの短い時間ですが、与えられた物質の体を使って、思い存分、愛情を感じる行動・経験をしてください。