電子物性工学を専攻した理科系の住職が語る「あの世」って、やっぱりあるね!」

般若心経の「色即是空・空即是色」「色」「空」は、「色(しき)」目に見えるもの、「空(くう)」目に見えないものを表す。

つまり、色とは現世(人間界/物質の世界)であり、空とは人間の五感では見えない高次元の世界を表している。

いっぽう、現代科学の最先端である素粒子物理では、物質を構成する素粒子は、波(波動)でもあり粒子でもあることがわかっている(量子物理学)。

また素粒子の存在確率を表す波動方程式には、虚数 i (imaginary number)が含まれている。虚数とは二乗するとマイナス1になる数で、我々の住む物質世界(3次元世界)には存在しない数なのである。(我々が住む3次元物質世界に存在している数のことを実数という。)

なぜ素粒子の存在の記述に虚数が出てくるのか?これは、3次元(縦・横・高さ)物質世界にとどまらず、素粒子は高次元まで広がって存在しているからであろうと思われる。

数学の世界では、3次元に対して、もう一つの移動可能軸を追加して複素数として扱っている。複素数は虚数を使って表現される。我々の五感は次元を超えた世界を感じることは、なかなか難しいが(感じる人もいる)、数学の世界では、高次元世界まで記述することで理解が進むのである。

そして、素粒子物理学では11次元までの存在を示唆している(次元とは移動できる方向の数)
この11次元というのが、また実に奇妙である。

仏教では、三回忌、七回忌、十一面観音、三十三間堂などの数字が出てくる。これは偶然だろうか?

三は3次元、七は7次元。仏教では、下は金輪際(こんりんざい)、上は有頂天(うちょうてん)と表現するが、金輪際と有頂天の間には、人間界(3次元)/あの世・冥界(4〜5次元)/観音菩薩(6次元:人を救うため人間界に近い次元に存在)/阿弥陀如来(みんなが好きな阿弥陀様はラッキー7の7次元)/最上位(11次元)は大日如来(宇宙世界全体を支配する意識体、他の宗教では、God:神と呼ぶのかな)という具合に、階層構造を描いている。

話は脱線するが、京都の三十三間堂の33とは、観音経に書かれている、観音菩薩(という意識体)は、三十三の姿形で、人間界に現れて人々を救うと書かれているからである。観音菩薩という意識体が、持っている情報を使って物質世界に物質として出現する。

我々の住む世界の物質(3次元世界の物質)は、4次元以上には入れない。4次元以上の世界は情報の世界となっている。したがって、皆さんが蓄えた財や物は、4次元以上のあの世には持っていけない。

ただし、死んで物質の肉体が無くなったとしても、意識体(魂)は、生きている間に経験した情報をすべて記録しており、経験した記憶情報は次元を超えて持っていくことができる。

物質を中心とした研究や物の見方になっているため、現代人は意識は脳の活動で生じていると考えがちであるが、実態は、我々の意識体(魂)は4〜5次元にあって、脳はラジオの送受信器のように、高次元にある自分の意識体と情報を交換している。つまり、肉体は単なるアバターで、肉体に意識体(魂)があると思うのは錯覚なのである。

肉体は物質であるため永遠には存在できない(無常)が、情報の世界にある意識体(魂)には、3次元世界の時空という概念が無い(般若心経)。

3次元物質世界にアバターを得て人間や動植物として出現してくる理由は、無常である物質世界で様々な経験をしてほしいからである。できれば、その経験は愛情を注ぎ、愛情に包まれた経験であってほしいと願う。

意識体(魂)は、この経験によって意識体(魂)のレベルを上げていくことができる。より高次元の意識体(魂)となるには、慈愛と慈悲の実践が重要である。神仏はこれを期待している。

あの世に戻った意識体(魂)は、穏やかな、居心地の良い世界(天上界)にあるかもしれないし、現世の行いで不足している経験のために、地獄界・修羅界・餓鬼界へ向かう魂もある。

天上界で退屈した魂は、自分の希望で、再度人間界に現れることができる。これが生まれ変わりという現象で、再び肉体を得て、人間界で経験を積んでいくことになるが、再度、生まれ変わるのであれば、前回よりも向上した形で出現してくる。これが進化であり、4次元以上の情報の世界の持つ魂の情報を改善して進化する。この情報のことを遺伝子と呼んでいる。

コンピュータ・AI・インターネットなどの情報装置は、高次元世界を知りたいという人間の根本的な要求を満たそうとしているのかもしれない。ただし、AIが人間に近づくためには、愛情・痛み・苦しみ・寿命・死を感じる必要があり、もしこれらを感じるAIができたなら、それは人間になるかもしれない。。。

ホームページが壊れました (>_<)

妙法寺のホームページが壊れました。とほほ。

復旧できても時間がかかりそうなので、新たにホームページを制作していきます。

まいったな。。。。

過去の寺ブログは少しずつ復旧していきます。

境内のお花たち

暖かくなって(暑くなって!?)、境内のお花も賑やかになってきました!

楽になる秘訣

ヨガのポーズのひとつ「シャバアーサナ」。
体を観察し、力が抜けていない部分に気づき、息を吐きながら、意識して力を抜いていく。
あら不思議。体が軽くなっていく。

禅のトレーニング。
心を観察し、こだわりや執着している部分に気づき、息を吐きながら、意識して、こだわりや執着を手放す。
あら不思議。心が軽くなっていく。

誹謗中傷に対する釈迦の教え

情報通信の発達に伴い、SNSなどの誹謗中傷が社会問題になっています。また、店員に対するカスハラなども同時に社会問題となっています。このような状況について、2600年前に釈迦は、どのように説いていたでしょうか。

釈迦が悟りを開いたとき、5人の弟子(比丘)に、八正道を説明しています。八正道とは、人を苦しみから救う8つの方法です。裏を返せば、人を幸せに導く8つの方法でもあります。

八正道(はっしょうどう)とは、
「正見:正しいものの見方」
「正思:正しいものの考え方」
「正語:正しい言葉使い」
「正命:正しい職業について糧を得ること」
「正業:正しい行い」
「正精進:正しい努力を毎日積むこと」
「正定:正しい修行を行うこと(坐禅、瞑想、滝行、千日修行などなど)」
「正念:過去や未来に意識を向けずに、今だけに意識を集中させること。」

これら8つを実践すると、幸せになれますよと説いています。
この「正」という文字は、慈愛と慈悲をもってということを表しています。

この中で「正語(しょうご)」については、「暴言を吐いてはいけません。丁寧な言葉遣いをしましょう」と説いていますが、「正」という文字からわかるように、「他人に言葉を発するときは、慈愛と慈悲をもって、相手の状況や状態をよく観察し、相手の状況に応じて、良い言葉をかけてあげること」が本質的な教えであります。相手の状況をよく観察してというのが大切なところです。

相手の状況もよく把握しないで、自分の言いたいことを言う、暴言を吐く、批判するなどの行為は、人を苦しめる行為である、言葉の暴力であると言っているのです。

オリンピックの選手に「次は辞退してください!」という発言がSNSであったようですが、相手の状況をよく観察して、慈愛と慈悲をもって発言してもらいたいですね。

情報化社会にあっても、もし、全世界の人が、八正道の1つである「正語」だけでも実践していたら、どうでしょう、この世界は幸せで明るい世界になると思いませんか。

釈迦の教えである八正道は、苦しみから人を救う方法でもあり、人を幸せにする方法でもあります。

生きている意味とは?

「生きてる意味ってなんですか?」最近、この質問をよく聞かれます。

生まれてから死ぬまでの(短い)間の行動や経験は、すべて魂に刻まれ蓄積される。

我々が住んでいるのは3次元(物質の世界)。
冥界は4次元以上の情報の世界。物質は冥界には入れないので、財産や所有物は持っていけないけれど、魂に蓄積された行動や経験は、冥界に持っていくことができる。(良い事も悪い事も)

悪い経験は修正を求められ、良い経験は魂を成長させる。そして転生するときには、魂を成長させるために必要な次元へ送られる。(六道輪廻 : 人間界、修羅界、畜生界、天上界、餓鬼界、地獄界)
経験が足りなければ、再度、物質世界(人間界)へ送られることもある

魂が物質の体を与えられ、再び、この世(物質世界)に現れたとき、神仏の期待は、悪事をはたらくのではなく、沢山の愛情を受け、また、沢山の愛情を注ぐ経験を積んでほしいと願っている。なぜなら、この経験が魂を成長させるからである。

この世に生かされている意味とは、魂を成長させるためなのです。生まれてから死ぬまでの短い時間ですが、与えられた物質の体を使って、思い存分、愛情を感じる行動・経験をしてください。

お正月の準備、だいたい完了

葉っぱ掃除で腰が痛くなってますが。葉っぱも、ほぼ散り終わり、お正月の飾りや、お地蔵さんのよだれ掛け交換も、完了しました。

みなさま、良いお正月をお迎えください。

合掌 正禅

「人様に迷惑をかけるな!」という言葉は傲慢

「人様に迷惑をかけないように!」

 

現高齢世代がよく使う言葉で、一見良いことを言っているように聞こえますが、私はこの言葉が嫌いです。

 

なぜなら、私は私、あなたはあなたと捉え、そこに障壁を作っています。「迷惑をかけないように!」とは、私もあなたに迷惑をかけないので、あなたも迷惑をかけるな!と言っているのです。この言葉を使う人は、自分は誰にも迷惑をかけていないと思っている人でしょう。では、あなたは、本当に迷惑をかけていないのでしょうか?

 

正しく物事を見れば、あなたは生きているだけで人様にも環境にも生物にも迷惑をかけています。例えば生物を殺して食べていますね。これだけでも迷惑です。皆、迷惑をかけて生きているのです。

 

そして、この言葉は、昭和後期から平成の間に蔓延し、関連する言葉として「自己責任」という冷たい愛情の無い観念を生み出しています。

 

「人様に迷惑をかけるな!」は傲慢で愛情の無い言葉です。生きているだけで迷惑をかけていることを認識して、迷惑をかけている対象に「日々、感謝する」というのが正見です。

 

多くのことに支えられて生きていることに気づき、そして感謝しなから生活しましょう。