電子物性工学を専攻した理科系の住職が語る「あの世」って、やっぱりあるね!

古来より、人類は弔う行事を行ってきた。死者が別の世界へ旅立つと信じて。なぜ、死後に別の世界へ行くと思ったのか?死者との別れが辛く、また命がそこで終わることが寂しい、悲しいと感じ、人の魂は肉体を失っても次の世界へと展開していくのだと考えたのか?

しかし、いろいろな現象を聞いたり見たり感じたり調べたりしているうちに、人類が数千年にわたって弔う行事を行ってきた理由は、どうも理屈で見出したものではなく、人の直感として「死後の世界」の存在を感じたように思える。

数千年にわたり、この死生観が信じられてきたわけだが、ここ数十年の短期間に、「死んだらおしまい、肉体が無くなれば何も残らない」と考える人が増えてきた。その背景には、我々の生活を発展的に良くしてきた「科学技術」がある。「科学」は正しいと信じる一方で、「科学的根拠」や「科学的に立証」されていない事象は信じないというのが、その根底にあるのだろう。

では、「あの世」は本当に存在していないのだろうか?理科系の知識をもって推論していくと、どうやら「あの世」は存在しているという結論に至る。最新の素粒子物理「量子力学」から導かれる結果には、どうやら「あの世」が存在していることを示唆し始めている。

例えば、素粒子の1つである電子や光子は、粒子でもあり波でもあるという二重性を持っている。昔の中学校では、原子は原子核と電子でできており、原子核の周りを電子という粒が回っているという図を描いていたのを、読者の皆さんもご存知だろう。しかし最新の量子力学では、このような図は描かない。どのように描くかというと、原子核の周りに雲のように電子の軌道を描くのだ(電子雲)。なぜ雲のように描くかというと、ひとつの電子が波のように重なり合って原子核の周りに存在しているからだ。電子は粒なのに、なんで波?

摩訶不思議であるが、電子は、人間が観察しているときには粒として見えるのだが、人間が見ていないときは波のように広がり、雲のように原子核にまとわりついているのだ。人間が見ているときには粒で、見ていないときには波になるという事象が「あの世」の存在を示唆する1つのポイントでもある。

素粒子は人に見られているときと、見られていないときで状態が変わることがわかっている。なんで、素粒子は人に見られていることを認識できるのか???も摩訶不思議。これは科学として立証されている事実である。物質を構成する最小単位が素粒子であり、人が見ているときは粒、見ていないときは波のようになっているとしたら、素粒子で構成されている、この世界のすべての物とはいったい何なんだろうか?我々は、いったい何を見ているんだろうか?

また、量子力学の実験で、さらに摩訶不思議な現象が出てきた。これは、電子を空中に飛ばして、その横に人を座らせ念じると、その通り道が変わるという現象。つまり人の意識が素粒子の動きや状態に影響を与えるという結果になっている。「そんなことがあるのか?信じられん!」という読者も多いと思うが、これが現代の最先端科学が見た実態なのだ。

そして、電子は原子核の周りに雲のようにへばりついているという電子雲だが、電子の位置を計算できる数式に「波動方程式」がある。この波動方程式には、この世界には存在しない虚数が含まれている。虚数とは2乗するとマイナス1になる数字でイマジナリーナンバー(虚数)の頭文字をとって「i」(英文字のアイ)で記述される。中学の算数では、プラスの数字の2乗もマイナスの数字の2乗もどちらもプラスになることを思い出してほしい。こういう数字を実数という。実数とは、この世界に存在する数字という意味だ。しかし虚数は2乗するとマイナスになる数字で、「虚数」という文字が表しているように、この世界には実在しない数字である。電子の位置を計算できる波動方程式に、この虚数が含まれる意味を知ると大変不気味なのである。この世界に存在しない数字を入れないと素粒子の計算ができないのである。

では、なぜ素粒子の位置の計算に虚数が現れるのか?これは、素粒子が我々の住む世界(実数の世界)とは別の世界にも存在するからにほかならない。量子力学では計算上11次元程度の世界の存在を示している。ここで次元について考えてみよう。
(十一麺観音さんも11だよね)

我々の住む世界は、縦・横・高さの3つの方向を持つ3次元である。この3次元空間に我々は存在し、我々の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)は、3次元空間内の様々な事象を捉えることができる。

では4次元の世界はどうなっているのだろう?縦・横・高さに、もう一つ方向が加わっている世界だ。残念ながら、人間の五感では、これを見ることができない。その感覚器を持っていないからだ。しかし4次元を想像することはできる。2次元に存在している人を考えればよいのだ。

2次元は、縦・横しかない世界だ。つまり平面の上に存在している人が2次元の世界の人だ。2次元の世界の人は、縦・横しか感じることができないし、縦と横にしか動けない。縦と横の方向の感覚器だけを持っている人だ。この人たちには、高さという感覚が無い。

この2次元の人を、ひとつ上の3次元、つまり我々が見たときにどう見えるか?まず2次元の人は、3次元の人から見れば丸見えであるが、2次元の人は3次元の人に見られているのはわからない。

同様に、4次元の人から見れば、3次元の人は丸見えであり、たとえ壁に囲われた部屋にいようとも、4次元の人から見れば丸見えなのだ。(悪いことはできませんよ。隠れて悪さしても、4次元の人からは、すべて丸見えでバレているのです)そして、ここで注目すべき点は、3次元の人は囲われた部屋から出れないと思っているが、4次元の人は、壁なんか関係なく通り抜けることができるのだ。これは電子ではトンネル効果として発見されている。

さらに素粒子が3次元の人の念(意識)によって状態を変えるというのはどういうことなのか?が重要である。3次元世界の我々が念じる(意識する)ということが素粒子に影響を与えるのは、我々の意識が3次元以上の高次元に影響を与えているからである。五感では感じることができない4次元以上の高次元であるが、我々の意識は、どうも4次元以上の世界まで影響を与えているようだ。量子力学は、3次元空間以外の空間が存在していることを示唆していたのだ。よくよく考えれば、縦・横・高さの3次元空間しか存在していないと考えるほうが不自然なのだ。4次元以上の高次元空間は存在していると考えるほうが自然である。

古来より、人類は「あの世」や「冥界」をイメージしてきた。量子力学から推察すると「あの世」や「冥界」というのは、3次元を超えた高次元の世界であろう。量子力学を知らない古代人は、直感的に、その存在を感じていたようである(はたまた高度な文明を持つ宇宙人に教わったのかもしれない。)

そして釈迦の智慧(仏教)では、人間の肉体と魂を分離して認識してきたことも重要なポイントである。魂とは意識のことである。人間の意識は3次元を超えた高次元にまで影響を与える。つまり、意識は高次元に繋がる存在であり、3次元世界にしか存在できない物質で構成される肉体は、死後3次元世界では炭素などに分解されてしまうが、意識は意識体として高次元にまで展開されるのである。4次元空間では物質は存在できない。4次元空間は、我々の知る物質は存在できないのだ。これが般若心経が説明している「色(しき)」のことだ。「色」とは目に見える物、つまり物質のことだ。これに対し「空(くう)」とは4次元以上の世界のことだ。「空」の中では物質は存在できない。2600年も前に、お釈迦様は量子力学で見た世界を知っていたようにも思える。

しかし、意識体は4次元以上の空間でも存在できるのである。そして意識体は4次元以上に展開されたのち、3次元の世界に戻ることもできる。「霊」や「魂」と呼ばれているものが意識体なのである。こうなると「輪廻転生」も実際にあり得る話になってくるのだ。

死後、高次元空間に展開された意識体である「霊」や「魂」は「意志」を持っている。その意志が強いほど、高次元空間から我々の3次元空間にも影響を与える。「怨念」という意志は大きなエネルギーを持つ。だから怖いのだ。3次元世界の人に強い影響を与える。「生き霊」というのも怖い。生きている人が強いマイナスの意識を放出しているということだ。これは、時空の世界を超えて伝搬し、恨みのある人に向かう。人から恨まれるようなことをすると、時空を超えて、そのエネルギーが伝搬し影響するのだ。逆に「愛情」という念も強い意志を持っている。これは世界を幸せに導く意志(念)である。

こういった念の強いエネルギーを直感力が鋭い3次元空間の人間が感じる場合がある。様々な相談を聞いている理科系の住職は、これらの話を多々聞いているのだ。寺社仏閣は礼拝堂、つまり、様々な人が念(意識)のエネルギーを放出する場所だ。こういった場所にはエネルギー保存則により、念のエネルギーが溜まっていくのだ。だから、寺社仏閣や墓のような場所には注意が必要だ。

「守護霊」なる言葉があるが、「守護霊」などは、高次元に展開された意識体なのである。高次元に存在する意識体からの意志は、3次元世界に住む我々へシグナルを送ることができる。3次元世界の人は、この意識体からのシグナルを自分の意識を使って受信することもできるわけだ。この意識体からのシグナルが強大な場合、凡人でも感じてしまうようだ。

幽霊を見た!という話も多いが、実際に視覚を使って目で見えているのではないのだ。高次元からのシグナルは、眼球を通じて「見えた!」のではなく、我々の意識が感じ、脳が見えたようにその像を作った結果なのであろう。

数千年にわたり、この意識を直感的に感じ、死後の世界を想像し、死者を弔ってきた人類。それが、この数十年という短期間の科学を見て、「見えないものは存在しない」とか、「死んだら耳が無くなるので聞こえない」とか、「死んだらおしまい、何も無くなる」とか、そういった理解や認識は、あまりにも軽薄短小で愚かなのである。また「科学」を知らなさすぎるのである。「あの世」を科学的に表現すると、それは高次元の世界であり、高次元の世界は間違いなく存在しているのだ。

3次元世界で生きている間に、悪さを重ねていると高次元の意識体は、それを見ているので、死後、高次元世界へ展開したときに、その裁きに会うというのもありそうだ。いわゆる地獄だね。気をつけよう。

愛情をかける行為は自身をも救う

愛情をかける行為は、周囲の人を幸せに導くだけではなく、実は自分自身を救う行為でもあります。

愛情をかける行為とは、相手を尊重し大切にする行為です。愛情をかける行為は、特別労力のかかる行為ではありません。相手の状態をよく観察し、相手の状態に応じて優しい言葉をかけるだけでもよいのです。

愛情をかける行為は、周囲の人を幸せに導くと同時に、実は自分自身の心や脳を癒し、穏やかで正しい判断ができる冷静な心(脳)を育成します。愛情をかける行為を実践していると、自分自身の不安やストレスやイライラも少なくなってきます。愛情をかける行為は、実は自分自身を救う行為でもあることに着目しましょう。

逆に、愛情をかけない、愛情を受けない生活をしていると、次第に自身の心を破壊していき、冷静な判断ができない心(脳)を生み出します。暴言を吐いたり、暴力的になったり、いつも落ち着かない、イライラしている状態、すなわち修羅の世界へ入ってしまいます。いつも、周囲の人から攻撃されるのではないか、悪口を言われているのではないか、思うようにいかないなどと、不安でビクビクした状態となります。

動物でも同じです。毎日虐待されている動物は暴力的になり、警戒心を持つようになります。人間も同様で、愛情をうけていない、愛情が不足している人々が増えることで、自己中心的な行動や日常の些細な喧嘩・口論が増え、また昨今のニュースに出るような様々な悲惨な事件が生じます。

社会的な影響力のある政治家や経済界のリーダが、国民や従業員に愛情をかけないと、殺伐とした社会が形成されてしまいます。その結果が今の日本の状態です。

もし、あなたが、毎日イライラしたり、不安であったり、愚痴が多くなったり、暴力的になったりしているのであれば、まずは人に愛情をかける行為を実践してみましょう。穏やかで安心な日々を送りたいのであれば、人に愛情をかける行為を実践してみましょう。

人に愛情をかける行為は、実は自分自身にも愛情を注ぐことになるのです。そして愛情をかける行為は、自身や他人を幸福に満ちびくだけでなく、高次元の世界へ繋がる最も有力な方法でもあります。高次元の世界に繋がると、いままで気がつかなかったことにも気がつき、見える世界が変わってきます。

 

滋賀県近江八幡市で永代供養・墓地をお探しなら!

滋賀県近江八幡市で永代供養
霊園・納骨堂・墓地をお探しなら!
墓じまいにも対応

詳細はここをクリック!

観音聖地 普陀山妙法寺
(ふださんみょうほうじ)

 

永代供養墓

納骨料5万円より
合祀墓・個別墓の2プラン
開祖隠元禅師350年遠忌記念
特別価格設定中

特別期間は、あと十霊位で終了致します。

 

特別期間は、あと十霊位で終了致します。

 

四季折々、花木に囲まれる境内墓地・霊園

 

境内墓地

永代使用料 1区画10〜30万円より
暮石はご自由な形で・樹木葬にも対応

永代供養墓の公式ページは
ここをクリック!

納骨料

開祖隠元禅師
350年遠忌
記念期間限定

開祖隠元禅師の350年遠忌記念として、ただいま特別限定価格を設定しております。

特別期間は、あと十霊位で終了致します。

合祀墓 一霊位15万円
(記念期間 5万円より)

・合祀墓は遺骨を土に還す構造になっています。
・合祀墓に納骨した遺骨は取出せません。
・年間供養料はかかりません。

個別墓 一霊位30万円
(記念期間 10万円より)

・お名前を刻印した慰霊石版を骨壷に設置し納骨致します。
・個別墓は契約時に取り決めた一定期間経過後に合葬致します。
(永代に合葬しないプランもございます)

(記念期間)
・3年後合祀の場合(一霊位10万円)

・7年後合祀の場合(一霊位20万円)
・13年後合祀の場合(一霊位30万円)
・永代にわたり合祀しない場合 (一霊位50万円)

※合祀墓は年間供養料不要
※個別墓は年間供養料1万円
※年4回、正月・彼岸(春、秋)・お盆にご供養いたします。
(ご遺族の参拝は必須ではありません)

※個別墓の場合、合祀前であれば、御遺骨は取り出すことができます。この場合、納骨料は返還されません。

※納骨時の納骨式開眼供養は、ご遺族のご希望があれば執り行います。
※永代供養墓前面に、墓碑銘版(故人のお名前、没年月日などを刻印)をご希望により取り付ける
ことができます。

納骨式

 

花木あふれる境内

 

寺院ならではの安心供養
お盆・彼岸供養は例年執り行われます

 

アクセス

滋賀県近江八幡市の景勝地
「八幡堀」の脇に立地する閑静な境内墓地。
境内に駐車できますので参拝も楽です。
人気のラ・コリーナまで、徒歩8分。

 

アクセスの詳細はここをクリック!

お問い合わせ

電話番号 0748-26-1353
メール gosen@myouhou-ji.com

ご見学

随時、受け付けております

【黄檗宗(おうばくしゅう)

中国明代の臨済宗(禅宗)として日本に伝わった禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の一派。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、明治9 年、一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。
大本山は京都宇治の「萬福寺」、宗祖は「隠元禅師」です。インゲン豆とは、隠元禅師が中国から持ち込んだ豆のことです。隠元禅師は豆以外にも、スイカ、煎茶を飲む習慣、皆さんがお使いの明朝体という活字体も日本に持ち込んでいます。

マインドフルネス実践会2023.5.27

今回は、実践会終了後、野点を開催しました!
秋葉原のメイドカフェの話から、冥土カフェの話になりました。

冥土カフェ、やるかな???

体全身の力を抜く大切さ!

体全身の力を抜く大切さ

不安やストレスを感じていたり、戦闘モードだったり。人は知らないうちに体のどこかに力が入っています。常態化していると、力が入ってしまっていることにも気がつきません。


意識を向けて、全身の力を抜きましょう。足から順番に頭のてっぺんまで。自分の体を観察しながら力が入っている部分が無いか確かめながら。


生物は警戒モードのとき、体に力が入ります。常態化してしまうと、無意識のうちに体に力が入りっ放しになってしまいます。全身の力を意図して抜いていくことは、警戒モードを解放し、全てを受け入れるトレーニング。


意識して力を抜いていくと、今まで気がつかなかった、「ああ、力んでいたんだな!」という体の部位を見つけることができます。特に頑張っている人は顔に力が入りっ放しになるので、口をポカンと開けて顔の力も抜きましょう。


全身の力を抜くというのは無防備な状態。無防備な状態を意識して作りましょう。今まで気がつかなかった感覚に気づけます。すると、自分の状態を客観視できるようになります。

今日は虫干しに最適!

空気が乾いていたので急遽、虫干し開始。大般若経全600巻。
ちょっと、くたびれました。

お金を出せば誰でも客ではない

カスタマーハラスメントという言葉が多く出てきました。よく見るニュースは、コンビニエンスストアの店員さんや、鉄道職員に暴言を吐いたり、暴力を振るったり。

これらのニュースを見ていると、住職はため息が出ます

カスタマーハラスメント、いわゆるお客さんが行う迷惑行為のことです。商売をしている人にとっては、「お金を出してくれるお客様は神さま。大切にしないといけない」というのが常識でしたが、今や、お金を出せば誰でも神様というわけではありません商品を売る側にもお客を選ぶ権利はあるのです。お金を払う側が偉い!なんてやっていると、そのうち誰も売ってくれなくなりますよ。

お金を払うという行為は、商品を作ってくれた生産者に感謝し、商品を届けてくれた物流事業者に感謝し、そして店舗で販売してくれた店員さんに感謝して、その対価として支払う行為です。こういった商品が生まれてお金で買えるまでの間に、様々な人々の業があるから商品が買えるのです。深夜でも商品が買えるのは、コンビニエンスストアの店員さんが深夜まで働いてくれるからです。ですから、店員さんに暴言を吐いたり、暴力を振るったりというのは、大変愚かで恥ずかしい行為です。

物の道理(様々な仕組み)を深く知れば知るほど、そのありがたさに気がつきます。カスタマーハラスメント行為をしている人たちは、こういった物の道理を理解していない、いわゆる仏教では「無知」「愚痴:ぐち(愚かな行為)」と言い、無知や愚痴は、三毒の1つで、行為している人も、その影響を受ける人も、共に不幸になるとお釈迦様は説かれています。人間という生き物は「貪り」「怒り・憎しみ」「無知・愚痴」の三毒には特に侵されやすい生き物なので、注意しましょう!とお釈迦様は説かれました。

こういったカスタマーハラスメントを行うお客さんを、店側は出入り禁止にしてよいのです。お金を払えば誰でも客ではないのです。商品が買えなくなれば、いずれ、そのありがたさに気がつき、無知ではなくなるでしょう。そのほうが、カスタマーハラスメント行為を行う人にとっても、良い機会になります。

施餓鬼法要とは?

お釈迦様の弟子の中で、一番、知恵に優れていたアーナンダ(阿難陀尊者)という僧がおりました。ある日、アーナンダが、山にこもって修行をしていると、目の前に、ある者が現れました。その者は、体はやせ細ってガリガリ、針金のような髪の毛、そして口から火を吐き、頭からは煙が立ち上っています

 

その者は、アーナンダに「そんな修行などやっていても、なんにもならないぞ。修行などやるなやるな!そんなことをしていると、お前さんも3日のうちに、私と同じようになるぞ!」と言いました。

びっくりしたアーナンダは、すぐさまお釈迦様のところに行き、尋ねました。「あの者はいったいなに者なんでしょう?」お釈迦様はしばらく目を閉じていましたが、アーナンダにこう言いました。「アーナンダよ。その者は餓鬼(ガキ)という鬼である。餓鬼は、そもそもは人間であったが、現世の中で、貪り(むさぼり)、貪欲(どんよく)の業を行なった結果、地獄界のひとつである餓鬼界に落ちた者である。

餓鬼界とは、食べ物は周りにたくさんあるのですが、食べようとして食べ物を口の前にもっていくと、口から吐いた火で燃えてしまう場所です。食べたいのに食べれないという苦しみを味わうのです。現世での業の報いでしょうか。

続いてアーナンダはお釈迦様に尋ねました。「3日のうちに、お前も同じようになると言われました。どうしたらよいでしょうか?」お釈迦様は答えます。「餓鬼の言うことなど、真に受けずとも大丈夫である。あなたは、迷わず修行を続けなさい。されど、餓鬼といえども哀れである。年に1度ぐらい、餓鬼に食べ物を施し供養してあげなさい。」ここにもお釈迦様の慈悲(じひ)の心が現れています。慈悲とは、痛み悲しんでいる人を暖かく見守り、助けてあげる気持ち、心です。

これ以降、アーナンダは毎年、餓鬼を現世に招待し、餓鬼に食べ物を施す「施食」を行うようになりました。これが施餓鬼会の始まりです。

悪い所作をした子供のことを「悪ガキ」と表現しますが、この「ガキ」とは、まさに「餓鬼」を指しています。要するに飢えた鬼のことが餓鬼なのです。子供は貪欲ですから、ある意味餓鬼でもあります。しかし、その餓鬼に慈悲の心を教え、独り占めしない、周囲の友達にも分け与える心を持つように教えるということです。子供に限らず、大人であっても餓鬼になっている人がいますね。あまりにも独り占めし過ぎたり、人に分かち合わない業が多いと、あなたも餓鬼界に落ちて、いつもお腹が空いた。。。。となってしまいますから気をつけましょう。

お寺で執り行われる「施餓鬼」法要では、子供達にお供え物や菓子を撒いたり、参拝者に供物を配ったりしています。これは、アーナンダが行なった「食べ物を皆に分け与える・餓鬼であっても、この日だけはお腹一杯食べさせてあげる」という供養で、儀式の中で地獄の釜を開いて、餓鬼界から餓鬼を現世に呼び寄せ、そして施食します。参拝した子供たちが餓鬼の代わりとしてお菓子を拾い集めるわけです。施食することの大切さを参拝者が再認識する法要でもあります。

妙法寺では、例年8月19日に「施餓鬼会」を執り行っています。撒いたお菓子を子供達が取り合います。小さい子よりも、大きいお兄ちゃんは、撒いたお菓子をたくさん拾うことができます。でも、法要が終わった後、大きいお兄ちゃんは、自分が取ったお菓子を、あまりとれなかった小さな子に分けていた光景を見たことがあります。これが、まさに慈悲の心であり、そして、慈悲の心を持った大きいお兄ちゃんは、今後の人生において大切な、大きな宝を得たことでしょう。

夏の行事「盂蘭盆会」

盂蘭盆会(うらぼんえ)」は、夏のお盆の行事のことです。ご先祖様・親・兄弟姉妹・親族など、故人が現世に戻り、故人を偲び、食べ物などをお供えして感謝を申し上げて供養する儀式です。

では、なぜ「お盆」というのでしょうか?「お盆」は略語です。日本人は略するのが好きですね。「お盆」の正式名称は「盂蘭盆(うらぼん)」です。サンスクリット語の発音「ウラバーニャ」を音で漢字表記したのが「盂蘭盆」。

では、サンスクリット語の「ウラバーニャ」とは何を意味するのでしょう。ずばり「逆さ吊り」という言葉です。えっ?お盆が「逆さ吊り」??? どういうこと????

これには、以下のようなお話があります。

お釈迦様の弟子の一人に、目連(もくれん)という僧がおりました。目連は非常に優秀で修行にも励み、ある日、神通力を得て、瞑想をしていると、亡くなった自分の母が地獄で逆さ吊りの刑を受けている様子を見てしまいました。驚いた目連は、お釈迦様に相談しました。

「お釈迦様、私の母が地獄に落ちて逆さ吊りとなっていました。哀れな母をなんとか救いたい。どうすれば母を救えるでしょうか?」

お釈迦様は、しばらく目を閉じたのち、目連に、このように答えました。

「目連よ、あなたの母は理由があって、逆さ吊りの刑にあっているのだ。例えば、あなたが幼少のころ、あなたの友達が遊びに来たとき、「喉が渇いたので水がほしい」と言ったが、目連の母は「お前にやる水など無い!」、「お腹が空いたので食べ物が欲しい」と言ったが、「お前にやる食べ物など無い!」という行為があった。目連には、なんでも与え、愛情をもって育てたが、自分の子供以外には、なにひとつ施しをしなかったのだ。」

自分の子供は大事にしたが、他人にはひどい仕打ちをしていた母だったのでしょう。現代でいうモンスターパーレンツのような母だったのでしょう。

目連は、お釈迦様に問いました。「どうすれば、母を逆さ吊りの状態から救えるのでしょうか?」

お釈迦様は目連に言いました。「あなたの母が現世でやらなかったことを、あなたが母の代わりに現世で行うのです。そうすれば、母を救うことができるかもしれません。」

お釈迦様のお話を聞いた目連は、その後、困った人や飢えた人に水や食べ物を与え、母を救い供養するため、その後も施食、布施を行いました。

これがお盆の始まりのお話です。お盆に、故人を偲んで祭壇を作り、食べ物や飲み物をお供えし、故人への感謝を念じ、故人を思い出して偲ぶ。これが「お盆」の行事となったのです。お盆の供物は、お供えが終わったあと、皆で分け合うことで施食となります。

お釈迦様は、自分にも他人にも動植物にも、そして環境にも愛情をもって接し、困っている人がいれば助け、布施を行う、そういう心をたくさんの人々が持てば、どんな時代であっても、そこに住まう人々が幸せに過ごせると考えていたと思います。

このような心をもって、今年のお盆を迎えたいものです。

愛情は奇跡を生む

知り合いのAさんは猫が大好きで、3匹の猫を飼っています。最初の子は丈夫で元気に育っていますが、末っ子は、残念なことに悪性のガンを発症し、獣医師さんからは「もう長くはもたないな」と宣告されていました。

ところが、悪性の癌にも関わらず、末っ子は毎日元気で、獣医師さんは「不思議だな。おかしいな。なぜ、こんなに元気なんだろう???」と。

Aさんは、「かわいいね!いい子だね!愛してるよ!」と言葉をかけながら、毎日、たくさんの愛情をかけて猫たちのお世話をしていたのです。

愛情をかけるというのは、実は奇跡を生み出すのではないかと住職は想像しています。前の量子の不思議な振る舞いのブログや「言霊(ことだま)」のお話を書いていますが、「愛情」という意識は、高次元の世界に繋がりやすい、力の強い意識です。我々の住む3次元ではない高次元の世界は、量子の振る舞いからも、その存在は確実であることが最近わかってきました。人間の意識は高次元の世界に関与し、その中でも「愛情」という意識は高次元の世界と繋がりやすい意識なのです。

癌に侵されているものの、飼い主からの強い愛情が高次元空間を通じて末っ子に良い作用をもたらしているのではないかと考えています。

愛情とは「大切に想う気持ち」です。

猫に限らず、人にも動植物にも環境にも、「愛情をかける」ことの大切さを再認識するとともに、次元を超えた、その量子的効果には、今後も注目していきたいと思います。