合同宗祖忌

4月27日、開祖隠元(いんげん)禅師の宗祖忌を厳修いたしました。滋賀県地区の住職約20名が参集。隠元禅師が持ち込んだお豆が「インゲン豆」です。

 

合同宗祖忌2025
記録ビデオ

黄檗宗の開祖:隠元禅師の宗祖忌ならびに檀信徒各家先祖代々の供養を厳修致しました。

 

 

生命とは誠に不思議な存在

すべての生命の意識体は、元来、仏性(慈愛・慈悲の心)を持っている。そして、物質の体の一部である脳は、高次元にある自分の意識と情報交換するための送受信機となっている。

物質まみれの生活を送っていたり、いつもテレビを見ながら何かしたり、スマホを手に持ちながら別のことをやったりなど、意識を集中させず、常に失念させる「ながら生活」を送っていたり、また不平・不満・不安を常に抱えて生きていたりすると、送受信機である脳の働きが弱り(集中力低下)、高次元にある元来の自分の意識との接続が切れはじめ、ついには、意識(魂)と情報交換できなくなり、魂が抜けた物質の体だけになってしまう。

こうなると、その人は、単なる物質の体を持つ動く物となり、元来生命体に備わっている仏性は消え、体の欲求だけを追求する物体へと変わってしまう(住職は、このような人を「物質の人」と呼んでいる。)

認知症も進行すると、脳の機能が低下し、高次元にある、元来仏性を持っている自分の意識と送受信できなくなり、やがて物質の人になっていく。

「物質の人」は、体の欲が行動の動機となるので、元来生命体の意識に備わっている慈愛・慈悲の心は消えてしまって、自分中心の生き方をするようになる。

最近、「物質の人」が増えている。動物も植物も生命体として仏性を持っているが、物質の人は動物や植物以下の物体になってしまうのだ。

あなたの意識はどこにありますか?

物質を中心にする物の見方を変えると、世界の見え方が変わってくる。

現代の生活も、科学技術も、経済も、物質を中心にする物の見方に偏ってきています。その結果、紛争や誹謗中傷や悲惨な事件が増えてきました。

この世界は、3次元の物質空間ですから、物質を中心にした物の見方になるのは、致し方ないかも知れません。

しかし、あなた(意識)が存在している本当の世界は高次元の精神世界。あなたは3次元物質世界に、ほんの一時の間、物質の体を借り受けて、物質の体を使って様々な経験を積まされているのです。

このことに気づくと、本当の自分や本当の世界を感じることができ、そして、イライラすることもなく、穏やかな心と感謝の念を持って生活することができるようになります。また、人や動物、植物、環境にも優しい心で接することができるようになります。

A present arrived !!

I received a gift from a tourist from Taiwan.

Three sisters and their boyfriendcame to Myofuji Temple, and there  live in Kaohsiung City, Taiwan, .

The Myohoji Temple enshrines Gosen Kannon (the Kannon who protects ships), so I think I received a model of a ship.
I immediately made this ship and placed it in the main hall.

I would like to use this blog to express my gratitude.

物質の人

元来、人は仏性を持っているとお釈迦様は説いてきた。仏性とは、慈愛・慈悲の心。愛情とは、相手を大切にしようとする気持ちである。

しかし、昨夜は、見知らぬ人を刺す通り魔的事件が長野で発生したり、関東では闇バイト事件が多発したり、誹謗中傷で自殺者を出したり、店員や駅員さんに暴言・暴力を振るう、紛争や戦争で多数の人命を奪うなど、今の社会を見ていると、仏性の無い人が増加傾向にあるように思う。

このような仏性の無い人のことを、住職は「物質の人」と呼んでいる。

第二次世界大戦後、日本は科学技術で発展し、生活を豊かにしてきた。高度経済成長時代は物に溢れ、世界的にも、物を所有することが幸せになることだという物質に溺れる生活になった。その結果、人の体や脳が、人の意識を生み出しているのであって、死ぬと体や脳が無くなるので意識も消滅するのだという物質を中心にした物の見方に変わってしまっている。物質の体があって、物質の体が意識を生み出しているという見方であるが、これは間違っているのである。

実は、先に意識があり、体は意識の情報に基づき生成される。高次元に存在する意識体が、この3次元の物質世界に現れるとき、物質である体を得て、この世界に出現するのである。体は、生まれてから死ぬまでの、一時の借り物なのである。

意識体が物質の体を構成するときに使う情報はDNAである。3次元世界よりも高次元の世界が存在しており、この世界は意識体の世界であり、物質が入り込めない情報の世界となっている。

意識体は元来、お釈迦様が説くように慈愛と慈悲という仏性を持っている。人だけでなく、動物も植物も生命は皆、仏性を持っている。生命は元来、仏性を備えている

ところが、慈愛・慈悲の心、仏性が消えてしまった人が、世界に増えつつある。生命としての人から仏性が消えてしまったとき、それは人なのであろうか?と考える。それは人ではなく、人の形をした単なる物質である。動いてはいるが、慈愛や慈悲の心も無く、ただ飯をくらい、排泄し、動いているだけの物質になっている。そのような人を、住職は「物質の人」と呼んでいる

生命には寿命がある。それは、高次元の意識体が、この3次元の物質世界に現れるための一時の借り物の体だからである。寿命が尽きたとき、あるいは、体は物質であるから、病に侵されて体を失うこともある。しかし、物質の体が無くなったとしても、意識体は存在し、高次元の情報の世界へと戻っていくだけなのである。

動物はむやみに殺しを行わない。動物は仏性を持っている。物質の人は動物以下の魂である。お釈迦様は、人は「貪瞋痴」の三毒に侵されやすい生き物であると説いた。「貪(とん)」は貪り、貪欲。「瞋(じん)」は怒り、憎しみ、「痴(ち)」は愚かな行為、妄想。三毒は人を「物質の人」に変えてしまう。注意せよ。これ以上、「物質の人」が増えませんように。