消災吉祥
ゼニ山・カネ山の寺
普陀山妙法寺の縁起
「普陀山」とは、観音様がおられる霊場、観音が住む山(補陀落)を表します。
(開山)
禅宗の一派、黄檗宗(オウバクシュウ) の禅寺として、1733 年(享保18 年)、近江商人全盛期の江戸時代中期に九峰桂禅師によって開山。
豊臣秀次公が整備した八幡堀を利用して、近江商人は船で物資を運搬し繁栄しました。当時、物流船は難破することも多く、船の守護、渡航安全祈願、風水害厄除けとして、護船観世音菩薩が妙法寺に祀られました。
八幡堀
遣唐使の船で作られた
慈覚大師御作「護船観音」
御本尊は宝船にお立ちになっている珍しい護船観世音菩薩立像(秘仏)で、観音大士慈覚大師が1200 年前の難破した船の竜骨で製作したと伝えられています。綺麗な青色の海が厨子の内側に描かれており、観音様は竿を持ち、船を漕いでおられます。「慈愛」を持って、船だけでなく、様々な苦難から人々を救済してくださいます。
【御利益】
船の守護・商売繁盛・旅行安全
交通安全・風水害厄除け・合格祈願など
護船観音の由来
承和五年(西暦838年)、最澄の弟子、慈覚大師(円仁)は遣唐使に加わり、中国に渡りました。同十四年、帰航中、海上において嵐に遭遇しました。古文書には、「荒波岩石を飛とばすが如く、黒雲覆いて暗夜のごとし。水主楫取(船頭)本心を失なう」と記載されており、船頭も気が狂わんばかりの大嵐で、4隻の遣唐使船のうち1隻は帰航中に沈没しました。この時、円仁は天に向かって「無垢清浄光(むくしょうじょうこう)、慧日破諸闇(えにちはしょあん)、能伏災風火(のうぶくさいふうか)、普明照世間(ふみょうしょうせけん)」の呪文を唱えたところ、たちまち、この観音様が空中に光を放って現れ、船を守り、黒雲は晴れて白日輝き、逆風が順風へと変わって、肥前の国松浦の岸(今の長崎県)に無事にたどり着きました。しかし上陸時、船はコントロールがきかず渚に乗り上げて大破し、円仁も溺れながら陸にあがったそうです。
上陸後、船頭たちは、海上に出現した、この観音様の尊像を作って欲しいと円仁にお願いをし、円仁は、渚に乗り上げて大破した遣唐使船の船木を使って、この「護船観音」をお作りになりました。「製作を終えたとたん、この護船観音が大光明を放ち、船頭たちはびっくりして信心肝に銘じ、剃髪して大師の弟子となった」、また「この観世音の御影を写し、封印して船の守りとした」、さらに、護船観音のご利益として、「この世にては悪風水難を逃れ、未来にては、あらゆる衆生を救い、様々な願いを成就す」と古文書に記載されています。近江商人は八幡堀を活用し船で商品を運搬していたことから、商売繁盛、船の物流の守護として、妙法寺に護船観音をお祀りしました。
◆護船観音縁起文(原文)◆
抑此れは、觀音大士慈覺大師の御作であります。大師承和五年(西暦838年)に入唐し、同十四年に帰朝し給うとき、海上において難風に遭い荒波岩石を飛ばすが如く黒雲覆いて暗夜のごとし。水主楫取本心を失う。時に大師虚空に向かいて「無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間」の文を唱え給うところ忽ち空中に観音光を放ちて示現し船を擁護し給えば、黒雲晴れて白日輝き、逆風変じて順風となる。
人々歓喜踊躍して暫く合掌し奉る中に彼の観音は漸々として消え給う。いよいよ波平にして程なく肥前の国松浦の岸に着き給う。時に船人、大師に向かいて曰く「願うところは彼の海上に来現に違わず大悲の尊像を作り給え」と大師止むことを得ず其の船木を以て作り給えと便ち加持し給えば彼の尊像忽ち大光明を放ち給う。諸人奇妙の思いをなし、信心肝に銘ず。便ち其の観音是なり。
之に依って船人剃髪して大師の弟子となる。其の后此の観世音の御影を写し、印施して船中の守りとす。此の世にては悪風水難を逃れ未来にては弘誓先達の導師となり現当二世の諸願成就す。
慈覚大師(円仁)の渡航
(遣唐使の渡航の困難)
承和2年(836年)、1回目の渡航失敗、翌承和3年(837年)、2回目の渡航を試みたが失敗した。承和5年(838年)6月13日、博多津を出港。『入唐求法巡礼行記』をこの日から記し始める。志賀島から揚州東梁豊村まで8日間で無事渡海する(しかし「四つの船」のうち1艘は遭難している)。円仁の乗った船は助かったものの、船のコントロールが利かず渚に乗り上げてしまい、円仁は潮で濡れ、船は全壊するという形での上陸だった(『行記』838年(開成4年)7月2日条)。
『出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/円仁』
【御朱印郵送】
遠方等の事由で、参拝できない方のために、御朱印郵送受付を開始しました。
郵送の場合
志納料:1枚500円(手数料込)
令和4年以降は、皆様の幸福を呼び込み、災を消す「護船観音」の御利益を象徴した文言「消災吉祥」の文字をお入れするようにしました!
御朱印 A
御朱印 B
御朱印 C
御朱印 D
(ご朱印帳へスタンプ・手書きも可)
御朱印 E
御朱印 F
(ご朱印帳へ手書きの場合)
季節毎の花木・宝船スタンプを追加しました!
護船観音写真入りパンフとともに
お送りします
【御朱印郵送の手続き方法】
御朱印の郵送を希望される方は、下記の手順で手続きをお願い致します。
(1)「御朱印郵送希望」の旨と希望する御朱印のタイプ(A/B/C/D/E/F)と花木・宝船スタンプの有無のご希望を、問合せページから妙法寺へ連絡。
(2)送り先(ご住所)を記載した返信用封筒に84円切手を貼り、妙法寺へ郵送。
※パンフが同梱されますので、返信用封筒は長形3号としてください。
(3)妙法寺の銀行口座に、志納料(500円 × 枚数分)を振込。
(※振込手数料はご負担ください)
(4)入金確認後、妙法寺から返信用封筒に入れて郵送致します。
(振込先)
関西みらい銀行八幡駅前支店
普通 口座番号:2044888
口座名義:宗教法人黄檗宗妙法寺
シュウ)オウバクシュウ ミョウホウジ
※振込時は、必ず口座名義名を確認し、お間違いの無いようご注意ください。
祈祷札
(郵送も可)
消災吉祥・厄除開運・交通安全
家内安全・商売繁盛・合格祈願
お経の話
黄檗宗では、お経を唐音(とういん)で読みます。音楽的な旋律で癒し効果があります。
声に出して初めて意味が出る呪文もあり、般若心経、往生呪、真言、消災吉祥呪等、声に出して読んでみてください。脳がすっきりするかもしれません。黄檗宗の独特の旋律、鳴り物を聞いてみませんか。本堂には音響システムを備えております。
黄檗宗の声明(梵唄)収録サンプル音源
(下記で視聴できます。音楽のようなお経を聞いてみてください。)
揚枝浄水
伸五供養
音楽的でびっくりする法要
盂蘭盆会・大施餓鬼法要
例年8月19日
18:00〜21:00 厳修
鳴り物の多い、音楽的な珍しい法要/お経です。
お菓子やお餅を撒きますので、お子様にも嬉しい法要です。
故人の追善供養を希望される方は、当日、受付致します。
(一霊位:3000円より)
「六道(天上界/人間界/阿修羅界/畜生道/餓鬼道/地獄)のうち、「餓鬼道」に落ちた、まさに「餓えた亡者」に食べ物を施し、供養するのが、「施餓鬼法要」です。餅や菓子を撒き、子供達がこれを拾うことで、餓鬼および無縁仏の供養としています。
妙法寺では、お盆に執り行いますので、餓鬼だけでなく、水陸一切の無縁仏、戦没者、親族・ご友人などの故人の霊位をお呼びし供養します。檀家様以外の霊位も供養致しますので、ご希望の方は、下の方に記載の「紙位牌霊位票(紙位牌票)」を妙法寺にお送りください。
下の写真の燃えている山は、金銀山(大判/小判の版画)、衣装山(着物、衣類の版画)と呼ばれるもので、法要中に火を放ち、燃えている間に拾うことで、お金持ち、商売繁盛に繋がるとされています。このため施餓鬼法要を地元では「ぜに山・かね山」と呼んでおり、妙法寺の通称ともなっています。
妙法寺は、通称「ぜに山・かね山の寺」と言われ、この炎の中から山の一部を取り、カバンや財布に入れておくと、お金持ちになると伝えられています。
【故人を供養したい方】
大施餓鬼法要では、餓鬼道に落ちている亡者を供養するだけでなく、水陸一切の無縁仏、戦没者、そして、お亡くなりになった親族・ご友人の供養を執り行います。法要の中で故人のお名前を読み上げ、お盆の追善供養とします。気になっている故人がおられましたら、供養してあげましょう。
供養をご希望の方は、この紙位牌票を上記のダウンロードボタンからダウンロードし、印刷して供養したい方の「命日・戒名・俗名」を記載のうえ、スキャナー画像または写真撮影して、大施餓鬼法要開始前日までに、妙法寺に持参/郵送またはEメールの添付ファイルでお送りください。法要中盤で、それぞれお名前をお呼びし供養致します。
【紙霊位票の受付確認】
(持参される方)
法要当日、紙位牌票をお持ちいただき、受付で奉賛料をお支払いください。
(郵送される方)
・ご住所、氏名、電話番号、E-Mailアドレスを記載し同封ください。
・お電話またはE-Mailで、受付確認のご連絡を差し上げます。
(E-Mailで送信される方)
・お送り頂いたメールアドレスに、受付完了の返信を致します。
【供養料について】
一霊位:3000円より
当日おいでの方は持参ください。
当日、参拝できない方は、下記記載の妙法寺銀行口座へお振込ください。
(振込手数料は御負担をお願い致します。)
(振込先)
関西みらい銀行八幡駅前支店
普通 口座番号:2044888
口座名義 宗教法人黄檗宗妙法寺
シュウ)オウバクシュウ ミョウホウジ
※振込時は、必ず口座名義名を確認し、お間違いの無いようご注意ください。
【法要のオンライン配信】
法要当日、妙法寺においでになることができない方のために、法要をYouTubeまたはオンラインTV会議(Zoom)でライブ配信しますので、どうぞオンラインでご参拝ください。
・YouTubeライブ配信の場合には、当日、妙法寺ホームページトップにYouTubeの配信URLをアナウンス致します。
・Zoom利用の場合には、E-Mailで招待メールをお送りしますので、必ず、法要前日までにE-Mailで連絡をお願い致します。
【連絡先】
(妙法寺電話番号)0748-26-1353
(妙法寺E-Mailアドレス)gosen@myouhou-ji.com
または、こちらから問い合わせ!
(妙法寺住所)
〒523-0827
滋賀県近江八幡市鉄炮町17番地
普陀山妙法寺
◆施餓鬼法要ビデオ(16分)◆
・約2時間の法要ですが、16分に編集しています。
・ゼニ山、カネ山や、餓鬼供養のお餅やお菓子の配布、黄檗宗の旋律のあるお経(梵唄)を視聴ください。
◆施餓鬼法要全ビデオ(2時間)◆
2018年の施餓鬼法要の様子を視聴頂けます。旋律があり、鳴り物が多く入る黄檗宗のお経です。これがお経?とびっくりされると思います。
・00:24:00〜 聖水による道場のお清め
・01:27:00〜 「ゼニ山、カネ山」への点火
・01:30:00〜 餓鬼へのお餅、お菓子撒き供養
<映像提供:なにぬねのんチャンネル>
ゼニ山/カネ山
法要中に燃やして拾うとお金持ちになると言われています。
法要中の引導で、地獄の釜が開きます。
法要中、餅や菓子を撒いて、餓鬼、無縁仏、亡者がお腹いっぱいになって帰ります。
【古文書の地図】
「江州蒲生郡八幡町」と記載。八幡堀脇に「妙法寺」の記載もあります。
【妙法寺の歴史】
往古より、ここに天台宗寶陀山妙法寺があって元亀の争乱(注1)で消失し、長らく無住寺院であったのを、徳川中期享保3年(1718年)、黄檗宗開祖隠元禅師5世の孫、仙林がこの地を買得、自資を以って創建隠居したと伝える。仙林は梅領禅師の弟子として土田の正宗寺の法灯を継いだ人で、以来、正宗寺住職の隠居所となった。天保の頃、高僧聞渓がここに住み、信徒、中村氏等の帰依を得て寺を大きくした。安政2年(1855年)正月15日八幡神社楼門消失に際し、鉄砲町、多賀村などと共に飛び火類焼し、法灯再び滅びようとしたが、明治元年、僧悦伝が四方に勧進し現存の堂宇を再建した。平成20年2月、当寺第17代住職温雄禅師と、その弟小川睦雄氏をはじめとする寺族、檀信徒・世話役各家、大工の棟梁磨谷氏によって、屋根の葺替えと改修工事が完工し、8月に落慶法要が行われた。
(注1)元亀の争乱
(近江での元亀争乱の概要)~元亀元年(1570年)信長は度重なる上洛命令を無視する朝倉義景を討伐するため、浅井氏との盟約を反故にし、盟友の徳川家康の軍勢と共に、同年4月に越前国へ進軍。しかし浅井氏が離反したため、挟撃を避けるため撤退(金ヶ崎の戦い)。
同年6月、信長は浅井氏を討つべく、近江国姉川河原で徳川軍と共に浅井・朝倉軍と対峙。並行して浅井方の横山城を陥落させつつ、この戦いに勝利した(姉川の戦い)。8月には、信長は摂津国で挙兵した三好三人衆を討つべく出陣するが、その隙をついて石山本願寺が挙兵、また軍勢を立て直した浅井・朝倉軍が近江国坂本まで侵攻し、延暦寺と結託。9月に信長が本体を率いて近江国に戻った。慌てた浅井・朝倉軍は比叡山に立てこもって抵抗(志賀の陣)。11月に、足利義昭の調停で、正親町天皇の勅命をもって浅井・朝倉氏と和睦。
元亀2年(1571年)、信長は浅井・朝倉に味方した延暦寺を攻める。信長は何度か退避・中立勧告を出した後、なおも抵抗し続けた比叡山延暦寺を焼打ちにした(比叡山焼打ち)。
元亀3年(1572年)正月近江国の金森・三宅の一向一揆蜂起。信長は制圧し、村々より起請文を徴発。3月に信長は湖北を放火。7月に小谷城攻撃し、虎御前山城を整備。
元亀4年(1573年)2月に足利義昭が挙兵した石山・今堅田衆らの蜂起は信長が鎮圧。7月には、信長は鯰江城を包囲、百済寺を焼打ち。8月小谷城攻撃すると共に朝倉軍を攻撃し滅亡させる。9月(天正元年)浅井氏滅亡し小谷城落城、鯰江城開城。これをもって、近江国は織田信長によって平定されました。
(出典:http://kusahato.web.fc2.com/soukyuan-2/walking/uo-69namazuejouatonado/genkisouran.html#genkisouran)
【黄檗宗大本山 萬福寺】
中国明代の臨済宗(禅宗)として日本に伝わり、当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、明治9 年、一宗として独立し「黄檗宗」を公称するようになりました。大本山は京都宇治の「萬福寺」、宗祖は「隠元禅師」。