理科系禅僧からのお話・第二話 「あの世ってあるのかな?時空間のお話」

お寺に来られた方とはいろんな話をします。たまに、いわゆる心霊体験をされた方のお話も聞くことがあります。また、五感が働いて、奇跡的に災難を逃れた方もいます。

前回のお話で、「人間が見えている光の範囲は、すごく狭く、目で見えていないことの方が多い」というお話をしました。我々の住む3次元の時間と空間についても、同様に、我々は狭い範囲しか感じることができません。

一方で、量子といわれる微小な物質の振る舞いは、壁をすり抜けたり、遠くの量子に作用したりします。人間の感覚では感じられない振る舞いです。でも、実はミクロの世界では日常的に起こっていることが科学でわかってきました。

また、時間の流れも、場所によって速く進んだり、遅れたりもしています。ブラックホール内では、我々の空間よりも時間の流れが遅くなるそうです。ブラックホールではなくても、地球を回る人工衛星でも、時間がずれています。この時間を補正しないと、カーナビとかの地図の位置がずれてしまいます。

我々が感じる空間や時間は、なんと絶対的な普遍のものではないということです。場所によって、ズレたり、歪んだりしているのです。でも、そのズレや歪みを我々の五感では感じることができないのです。</dp

現代の素粒子理論では、ミクロな世界では、理論上、11次元ぐらいあるそうです。ちょっと想像もできませんね。

しかし、こう考えると、なんとなく想像できます。我々は横、縦、高さという3次元空間を認知できます。それでは、2次元に存在する人を想像してみましょう。2次元の世界では、横と縦しかありません。高さという概念が無い世界です。3次元から見れば平面の上の世界。ここに住む人は、平面に線を引くと、その先には進めません。壁に見えるわけです。でも3次元の我々から見れば、線の上を飛び越えれば簡単に越えられるのになぁ!とわかります。次元が一つ増えるだけで、無理!と思われたことも、実は簡単に越えることができるわけです。

それでは、4次元の人から、我々3次元の世界を見たらどう見えているか想像してみましょう。我々3次元の人は、壁があると、その先には行けませんね。でも4次元の人から見れば、簡単にすり抜けるでしょう。4次元の人から見れば、3次元の世界は、すべて丸見えになっているはずです。悪いことはできませんよ。すべて見られているわけですから。悪事は必ずバレると悟りましょう。

時間も同様で、我々は時間は一定に流れていると認知しているが、実はどこでも一定ではありません。我々が認知している時間や空間は、かなり、あやふやな物だったんですね。そんな、あやふやな時空間の中に我々はいるわけですから、「見えないから、無いのだ!」と思うのは人間の傲慢でしょう。

さて、話を本題に戻しましょう。「あの世」ってあるのかな?「心霊体験」て本当かな?いろんな方の体験をお聞きしますが、我々の認知力は3次元空間の認知しかできないことを考えると、「あの世」とか「心霊体験」を否定することはできませんね。

般若心経に書かれている「空」というのは「空っぽ」という意味では無く、次元の異なる場ということです。色即是空の「色」は3次元の人間のことであり、「色」は「空」の一部である「空相」に存在しているのだと書かれています。不思議ですよね。2500年も前に、お釈迦さんは、既に次元の異なる世界を認知していたのですよ。

「あの世」とか「心霊体験」とか、なにか怖い現象のように感じがちですが、これらは我々の次元を越えた次元の世界での事象なのかもしれませんね。認知できないから怖い!となるのでしょうが、理科系の論理で言えば、次元の異なる世界は明らかに存在するはずで、逆に人間の五感で認知できる世界の方が、明らかに狭いということでしょう。

稀に、霊感があったり、身の危険を察知して難を逃れるというのもあります。霊感というと、怪しいとか、怖いとか思うかもしれませんが、次元の異なる世界を感じることができる感覚と思えば、別に不思議でもありません。体験談を聞いていると、人間の臓器が美しく動いているほうが、異なる次元を感じる力が、どうも感覚が鋭くなるようです。

その道を極めたプロ中のプロは、神経機能がアップグレードされ、そういった世界を感じるのかもしれません。生まれつき脳や神経が研ぎ澄まされた人もいるのでしょう。そういう人は、五感を越えて感じることができるようです。きっと、次元の異なる世界は遠くにあるのでは無くて、身近に、あちこちにあるのでしょう。

理科系禅僧からのお話・第一話 「見えるものがすべてではありません」

光は電磁波です。電波の波長がどんどん短くなると光になります。目に見える光の波長を超えると紫外線とかX線になります。
人間の見える光の波長は、380〜780ナノメートルと電磁波の中のわずかな範囲しかありません。

そんな狭い範囲の光しか見えないのに、自分が見たことしか理解しない、見えていることだけで、すべてわかったように思うのは傲慢で愚かなことです。実は見えていないことのほうが多いのですよ。

見えないものが、たくさんあるんだなぁ!と五感を使って感じてみましょう。見えないけど、感じる人が世界にはたまにいるのです。

悟りを開き、穏やかに生きるために!

悟りを開く(事象を正しく見る)には、知識と経験だけでなく、洞察が重要。心の動きを含めて、この世界で生じている全ての事象には必ず要因があり、その要因が絡み合った結果が事象として現れる。釈迦の説いた仏教は因果関係を重要視する。

何がどうなっているのか。洞察するには観察がポイントとなる。五感を使って観察する。呼吸と姿勢を整えて観察し、そして、観察結果から洞察して因果関係を整理していく。

呼吸と姿勢を整えるのは、脳を冷静で活発な状態にするため。動揺している脳の状態では、正しい観察も洞察もできない。五感も鋭くしておく必要もある。頭だけで考えない。自分の感覚も大切にする。良い感じなのか、嫌な感じなのか。素直な感覚は直感という。頭で考えた理屈だけでなく直感も大切にする。理由はわからないが、何か違和感があるときは注意してみる。生物としての直感は重要である。直感は高次元の世界と繋がっている。高次元の世界からは、我々の次元は丸見えなのだ。

観察や洞察をするときに自分の都合を入れてはならない。自分を事象の中心に置いてはいけない。執着や固定観念も自分の都合から生じていることに気づかなければならない。自分の心のフィルターを取り除き、ありのままの事象を観察し洞察する。いわゆる客観視ができるかどうか。ここが最重要ポイントとなる。

人間という生き物は、どうしても自分の都合や自分を中心に物を見たり考えたりしてしまう。ここを断ち切って、客観的に事象を把握するようになると正しい観察と洞察ができるようになる。これを体得すると、心の動揺が無くなり穏やかになる。また人生で失敗する確率が大きく下がる。ニュースで出てくる犯罪や失敗や事故は、すべて客観視できていない人の行動によるものである。

逆に客観視を体得すると、正しく事象を理解できる。これが悟った状態であり、穏やかに生きることができるようになる。

もう一つの大切なポイントとして、正しく洞察するには、ある程度の知識と経験が必要。無知では正しく洞察できない。ある程度の学と経験が無ければ正しく洞察することはできないのである。
生まれたばかりの子供には洞察はできない。親が無知であれば、子供も無知となる。人生においては、良き指導者、先生に出会えるかどうかも悟るためには重要なポイントとなる。

経験も同じで、未経験では正しく観察も洞察もできない。経験とは自分で考えて自分で行動することで身につく。

悟りが開かれれば、不満、怒り、憎しみ、恐れ、嫉妬、焦り、悲しみといった負の心の動揺は、自分自身が生み出しているに過ぎないことに気づくはずた。

ーー大施餓鬼法要の準備!ーー8月19日(金)18時開催

施餓鬼法要の準備を進めています。まずは、大物から。

例年、8月19日に執り行うことが決まっています。黄檗宗のお経(梵唄:ぼんばい)は鳴り物が多く、大陸の文化を感じる音楽的なお経です。そのため、僧侶6名が必要なので、近くの黄檗宗寺院の住職が集まって、それぞれのお寺を順番に執り行うため、日時が決まっているのです。妙法寺は、今年は金曜日ですね。18時から開始します。法要中、お餅やお菓子を撒くのは、19時30分過ぎあたりからですね。コロナ対策で、お餅やお菓子は少量撒いて、参拝者の方々には、写真のようなお菓子を配ります。「子供に嬉しい法要」です。

 

本堂の準備ですが、これ、本来の段の作り方とは異なっています。コロナ対策のため、僧侶が向かい合わせにならないように配置しています。コロナウィルスは、だいたい換気の悪い部屋で感染します。呼吸で排出されたエアロゾルを吸い込むことで感染することが主な要因です。そこで窓を全開放し、扇風機で風を一方向に流し、屋外と近い環境を作っています。

幕を張って完成。

 

これは、ぜに山かね山というもので、法要中に燃やします。燃えかすを拾って財布に入れておくと、お金持ちになれる!というもの。

 

これは疏袋(しょぶくろ)といいます。ぜに山かね山に火をつける松明(たいまつ)です。

 

しかし、今年は暑いです。本堂にスポットクーラーを導入したのは正解でした。

 

霊風スポット!?

猛暑ですねー。特に今日は暑い。早く秋がこないかなーーー!なんて思いますが、それは人間の勝手でしょ!

猛暑対策として、冷風スポットを新設しました。スポーットクーラーで涼んでね。もうすぐ、お盆だし、「霊風スポット」ですかね。