「念」のお話し

「念」とはなんでしょう?「念じる」「正念場」の「念」。いま、目の前にあることに意識を向ける、集中する、という意味。お経を念じる、「執念」、良くない「怨念」とかも。幸せを祈る念もある。
すなわち「念」とは心(脳)の活動。これにはエネルギーがあるし、エネルギーが必要。法要を終えると何故か疲れる。筋肉はあまり使っていないのに。
「念」にエネルギーがあるなら、我々が認知できない次元に「念」は伝わり、エネルギー保存則でどこかにエネルギーが存在しているのではないだろうか。
寺社仏閣では、たくさんの人の念が放出されている。家の仏壇にも。仏像も、造立されたときはただの「木」や「石」や「鉄」であるけれども、長年の祈り「念」の蓄積によって、霊剣が備わるのだろーなと洞察しながら拝んでいる。境内の整備、掃除も、何百年と継続していくうちに「念」のエネルギーが集積されていくんだろーな。それで寺社仏閣に入ると空気感が変わるのかな。
「念」の不思議。あなたは、どう思いますか?
悪い「念」を持たないように。
三業(身・口・意)とは、「身」は行い、「口」は発する言葉、これらは、すべて、「心(意)」から生じる動作。お釈迦様は、良い三業を実践すべしと説き、そのためには「意」が最も大切と説いた。逆に良い行動、良い言葉を発していても、心の中(意)が良くないことを考えていたら、それは悪であると説きました。悪いことを思いついたり、考えたりしただけで、それは悪であり、あなたや、あなたの周りの人を不幸に導いてしまいます。振る舞いは良いが、心の中では、悪意に満ち、妬み、恨みを持っている人を「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」と言います。こういう人とは付き合わない方が良いね。
良い「念」も、悪い「念」も、すべて心から生まれます。悪い「念」には、注意しましょう。
人々を幸せに導く八つの方法「八正道」の1つが「正念」。正しく念ずるの意味。英語表記では、「マインドフルネス(Mindfulness)」。