「因果応報(いんがおうほう)」
自分の行為が自分に戻ってくる、報いを受けるという釈迦の教え
いま、小学校でも、生徒が暴言を吐く、暴力を振るうことがあるようです。不満が多い子供なんでしょう。たくさんの愛情を受けて育っている子供は、相手の気持ちがわかるので、このような行為はしません。
一方、このような子供の行為に対して、最近の先生は叱らないようです。厳しく叱ると親からのクレームが入るのでしょう。
このような生徒はいずれ不幸な人生を歩むことになることは先生はわかっているが、子供はとにかく、その親に説明しても聞いてもらえない。言うだけ無駄、もう知らんわ!というところでしょうか。学校は学問を教える場であり、しつけは親がやってねと割り切りざる負えないのでしょう。
コンプライアンスという言葉が叫ばれてきましたが、世の中、何かおかしくなってきましたね。
昔は、怖い先生がいて、生徒はビビって言うことを聞いてましたね。人間というのは本質傲慢ですから、大人でも子供でも怖いものが無いとやりたい放題になります。多感な生徒たちを指導するには、やはり怖い先生は必要と思います。神仏は怖い存在、なんでもお見通し。というのも必要なんでしょう。
神様はバチを当てます。神ですから。因果応報をバチが当たると言う意味と思っている人は多いと思います。でも釈迦はバチを当てることはありません。釈迦の教えは、暴言を吐いたり、暴力を振るったりしていると、次第に自分の心が痛み、傷つき、それが苦しみを生むことになると説いているのです。これも一つの因果応報ということで、結果的にバチが当たるような状況を自らが生み出すのだということになります。
釈迦の教えは、真を突いていますね。