近江八幡市仏教会主催「成道会市民のつどい2023」、本日、無事開催できました。コロナ禍で4年ぶりの開催。近江八幡市仏教会会長の私としては、無事成功裏に終わるか、運営を含めてヒヤヒヤしておりましたが、なんと300名ほどのご参加をいただき、運営もスムーズに終わり安堵しております。
琵琶の弾き語りをはじめ、バイオリンとビエラの演奏も、原音を生で聴いて迫力満点で感動致しました。
出演者をはじめ、来場いただいた檀信徒、近江八幡市民の方々に感謝申し上げますとともに、市仏教会の実行委員、事務局、受付など応援をいただいた方々に多謝。
私も会長として、「当たり前にあるものと思っているものは、すべて当たり前にあるものではない」という無常という真理を発見した釈迦の教えについて少しお話をさせていただきました。
今、持続可能な社会「SDG`s」が叫ばれておりますが、その背景は、「今のままでは持続できない」ということであります。ふだん当たり前にあると思っているものは、そのほとんどが「当たり前にあるものではない」ということです。夫婦しかり、家族しかり、地球環境しかり。すべて当たり前にあるものではなく、ちょっとしたことで失う可能性があるものばかりです。
例えば、水も、当たり前に出るものではなく、災害等で断水すれば、食事もつくれませんし、トイレも使えない、お風呂にも入れない状況になります。10日もお風呂に入れないと、水の大切さに気づきます。久しぶりにお風呂に入れると、さらに水の大切さを実感するということです。しかし、仏教徒はこれではいけません。こういう目に遭う前から、「水の有難さ」に気づいていなければいけません。
最近タクシーの運転手さんに聞くと、近江八幡の駅には、タクシーが7台しか常駐していないそうす。タクシーもその労働条件やカスタマーハラスメントなどで、若い方が運転手を嫌がり、運転手不足。呼んだらすぐに来てくれるという、これまで当たり前と思っていたことが当たり前ではなくなる時代なのです。
医療従事者や介護職員も同様で、これまで当たり前に受けていた医療や介護サービスが受けられなくなる事態も発生しています。これに拍車をかけているのはユーザでもあることにも注意を払わなければなりません。サービスを受ける側の過度の要求や、気に食わないときの暴言などで、医療・介護従事者は心も疲弊してしまうのです。他分野の業務従事者に対しても同様です。深夜まで仕事をしてくれるコンビニの店員さんがおられるから、深夜でも買い物ができるわけです。介護職員さんの対応が不十分などと暴言を浴びせていたら、そのうち介護もしてもらえないようになりますよ。
日本は、これからどんどん、少子高齢化が進み、嫌な仕事に若人は就業しません。過去に「当たり前」であった様々なサービスが、今後は、当たり前には受けられなくなります。これに対して文句を言ってはいけません。文句ではなく、優しい言葉をかけて労をねぎらう。多少不満があっても相手の状況を察してあげるといった優しさがユーザに求められます。これがユーザ側が行えるSDG’sです。
「愛のある祈りの街 近江八幡」であってほしいし、そのような「心の街」になるよう仏教会は活動を進めて参ります。