台風が来ているのでブログを書く時間ができた。よかった!
数年前、岩根和郎先生の書かれた「暗号は解読された、般若心経」という本に出会いました。先生ご自身は物理学者であり研究者。大般若経(600巻)を262文字に凝縮したものが「般若心経」。ここには「空(くう)」の概念が解かれてる。空っぽ、何も無い、心を空にすれば、いろいろなものが見え、苦悩から救われるというもの。しかし、空と言っても、なんのことか考えれば考えるほどつかみどころがない。以前からそう思っていた。
先生の本を読んで、すっと腑に落ちた。これまで、空とは実態が無いものとされてきた。般若心経の後半には呪文「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶(けーてーけーてー、ぽろけーてー、ぽろーせんけいてー、ぷーていさぽほ)」がある。意味はいろいろな表現があるものの、「往く者よ、往く者よ、彼岸に往く者よ、彼岸に完全に往く者よ、目覚めに幸せあれ!」なのだが、彼岸が「空」の入り口と理解すると、すっと腑に落ちる。
彼岸は悟った者が最初に到達する場所。ここが大きなポイント。「空」は実在しているということ。一方で、心の中での「空」には意味がある。こだわらない心である。しかし、解読された般若心経の「空」は空っぽ、何も無いという意味ではなく、「空」という場所、実態があるのだと解読されている。これは衝撃的。しかし、そういう場所が実在すると考えると、いろんなことが腑に落ちるので不思議である。
ブラックホールや宇宙のビックバーンや、様々な研究活動を見ているが、好奇心を持って宇宙ってなんだろう?天体や地球や人間や、その周りで起きている様々な事象は、どのような理屈で構成され営まれているのだろう?という興味は昔からあったが、まさか般若心経に、その宇宙観が書かれていたとは。これも衝撃的。私なりの理解では「空」はビックバーンの始まり前の状態。時空の無い場所。その場から、空間や時間や物質が生まれ、宇宙や地球や動植物が生まれ、それが相互に関与しながら動いているという宇宙観。空間や時間さえも、絶対的なものではないことは相対性理論で示されている。
「色即是空」、「空即是色」。色(しき)とは人間の体や魂や物質を意味する。色は即、空に行けるし、空からは即、色に行ける。空という時空を超越した場を魂は行ったり来たりできるし、それは見えないけど常に行われているんだと記されている。そして、「空」から生まれた空相(空間の1つ)の中で物事の規則を支配している物理法則は、般若心経に書かれている「諸法」であり、科学者、研究者、技術者は、いろいろな実験を行なって「諸法」を理解しようとしているんだなと。これもまた腑に落ちる。
現代科学は、まだ少しだけど、般若心経の「空」の一面を見つけ始めたんだと思える。2000年以上も前に、まだ科学技術の知見が無い時代に、お釈迦様は、どうしてこのような理解ができたのか、これまた不思議。様々な苦悩はどこから生まれるのか、この世界がどうなっているか、考え抜いた末に見えたものがあったに違いない。この宇宙観がわかると、今、ここに生きている自分の立ち位置が見えるので、何故か安心した気分になる。不思議な感覚。
諸行無常、盛者必衰、自然の摂理と流れ。日常生活でいろんなことがあるけれども、すべては般若心経の説く宇宙観、自然の摂理、諸法の中での事象なんだねと実感する。霊界ともコンタクトできるのかも。もっと、いろんなことが腑に落ちるけれども、ブログが長すぎるので、聞きたい方は妙法寺に来てくださいね。