穏やかな社会を築くために必要なこと

令和5年を迎えました。本年も皆様が穏やかに生活できるようにお祈り申し上げます。

さて標題のお話。昨今、誹謗中傷や暴力事件、飲酒運転による死亡事故、コロナ禍での医療、介護をはじめとする様々なストレス。物価高や増税、年金や所得が増えないという不安など、生活への不安や将来への不安が増大しています。

現在の日本人は、だんだんと生活に余裕が無くなってきていることがわかります。そして、その不安は増大し、心にも余裕が無くなってきます。不安や不満というのは、脳や心に影響を与えます。愛情を受けていないと感じている人や、日々、不安や不満を抱いている人は、毎日、少しづつ脳や心が破壊されていきます。これが進行すると、暴言を吐き、暴力を振るい、人にあたるようになり、最後はうつ病になってしまいます。不安や不満を持った人が近くにいると、正常な人もストレスを受け、同様に心が病んでいきます。つまり、穏やかでない状態は周囲の人にも伝染するのです。

生活や心に余裕が無くなってくると、いわゆる「寛容さ」が減少し、攻撃的になってきます。「衣食足りて礼節を知る」という文言があるように、不安や不満な状態が日々続くと、物事の道理、人としての尊厳、人への接し方が崩れていき礼節が失われます。

いっぽう真の仏教徒は、いつも穏やかです。いつも、「ありがとう」「ありがたい」と様々なことに感謝の気持ちを向けています。なぜならば、物事の道理、人や動植物の尊厳がよくわかっているからです。

現在の中高年者は、日本が経済成長したり、裕福になったりした時代を生きてこられた方ですが、その間に、科学技術が発展し、神仏を信じない人が増えてきました。神仏など無い、死んだらおしまいと考えています。

神仏を信じるというのは、霊的にあの世があってということではなく、自然界や周囲の人間や、動植物や水や空気、太陽といった、自分を支えてくれる事象・環境が、すごくたくさん自分の周りにあるということに気がつくということです。このことに気がつくと、どんな状況になっても、脳や心は穏やかな状態で生活することができるのです。神仏を信じない、科学技術的根拠しか信じない、経済しか信じないという物の見方をしていると、生きること自体も無味乾燥なものとなり、損得や自分の都合でしか物を見ることができなくなります。そうなってしまうと、物事の道理、尊厳、人への接し方が寛容ではなくなり攻撃的になっていくのです。

不安や不満というのは、周囲の人や環境が自分に与えたものでしょうか?よくよく考えてみてください。不安や不満は周囲の人や環境によって生じたものではなく、自分自身が生み出しているものです。自分の都合にあわないことがあったり、自分の期待通りにならないことで、自分の中に不安や不満が生じるのです。不安や不満は、自分が作っているのです。

自分に生じる様々な不都合は、客観的に見れば、実は不都合ではありません。自然界、人間界を含む、この世界の法則です。自分を中心に世の中が動いていると思うから不満や不安が生じるのです。自分に都合のよいように、世界は動いていないのです。これを真に理解できると、不安や不満は生じません。

そして、目の前の事象を落ち着いて観察し、自分の都合を排除し、客観的に物事を見ること、そして、自分を支えている様々な周囲の事象にたくさん気がつくこと。これを実践していくと、「感謝」すべき事象が多々現れ、「ありがとう」「ありがたい」という言葉が自然に出るようになり、穏やかな生活を手にいれることができます。

神仏を信じるというのは、実は、穏やかな社会を築くのに役立っているのです。