自信と信念

・媚びへつらう大企業のサラリーマン
・国民の顔色を伺い、その場凌ぎの発言をする政治家
なんか、似てませんか。
共に「こうあるべき」という自信と信念が無い。
(また「念」という言葉がでてきた^_^)
自信が無いから、発する言葉には力が無い。
信念が無いから、うまく立ち回ろうとする。
うまく立ち回ろうとするから、心に闇が生まれ、貪瞋痴(三毒)に陥ります。
わかるかな?
やるべきことは「うまく立ち回る」ことではありません。

「念」のお話し

「念」とはなんでしょう?「念じる」「正念場」の「念」。いま、目の前にあることに意識を向ける、集中する、という意味。お経を念じる、「執念」、良くない「怨念」とかも。幸せを祈る念もある。
すなわち「念」とは心(脳)の活動。これにはエネルギーがあるし、エネルギーが必要。法要を終えると何故か疲れる。筋肉はあまり使っていないのに。
「念」にエネルギーがあるなら、我々が認知できない次元に「念」は伝わり、エネルギー保存則でどこかにエネルギーが存在しているのではないだろうか。
寺社仏閣では、たくさんの人の念が放出されている。家の仏壇にも。仏像も、造立されたときはただの「木」や「石」や「鉄」であるけれども、長年の祈り「念」の蓄積によって、霊剣が備わるのだろーなと洞察しながら拝んでいる。境内の整備、掃除も、何百年と継続していくうちに「念」のエネルギーが集積されていくんだろーな。それで寺社仏閣に入ると空気感が変わるのかな。
「念」の不思議。あなたは、どう思いますか?
悪い「念」を持たないように。
三業(身・口・意)とは、「身」は行い、「口」は発する言葉、これらは、すべて、「心(意)」から生じる動作。お釈迦様は、良い三業を実践すべしと説き、そのためには「意」が最も大切と説いた。逆に良い行動、良い言葉を発していても、心の中(意)が良くないことを考えていたら、それは悪であると説きました。悪いことを思いついたり、考えたりしただけで、それは悪であり、あなたや、あなたの周りの人を不幸に導いてしまいます。振る舞いは良いが、心の中では、悪意に満ち、妬み、恨みを持っている人を「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」と言います。こういう人とは付き合わない方が良いね。
良い「念」も、悪い「念」も、すべて心から生まれます。悪い「念」には、注意しましょう。
人々を幸せに導く八つの方法「八正道」の1つが「正念」。正しく念ずるの意味。英語表記では、「マインドフルネス(Mindfulness)」。

盂蘭盆会・大施餓鬼法要2021

・本年も例年通り、盂蘭盆会・大施餓鬼法要を執り行います。
・まだ、コロナウィルスが拡大しておりますので、YouTubeでのライブ配信併用です。
当日、妙法寺ホームページのTOPページに、YouTubeのURLを貼り付けますので、オンラインでもどうぞご参拝ください。
・餓鬼(ガキ)に食物を施す「施餓鬼供養」です。当日は、ご参拝者に、お供物(お餅/お菓子)を配布いたします。

大型パーゴラの設計

境内のドッグラン上に、屋根(パーゴラ)を設置すべく設計中です。設計図とイメージはこんな感じ!大型なので、暑い時期の施工や資金の関係で、完成は秋頃かな?少しづつ工作する予定です。

完成後は、つるバラでも植栽予定。雨天時には上部にシートを張れるようにします。ドッグランは使用頻度が少ないので撤去して、ガーデンテーブルとチェアを置きます。完成後は、休憩やリトリートに使ってください。

 

何事にも動じない心を作る

コロナ 禍にあって、苦しんでいる人が増えています。ボーナスが出ない、家のローンが払えない、職を失った、収入が減った、店が潰れそう、生活が困窮した、リストラにあった、家族が感染したなど、様々な事象が発生しています。もし、そういった困難な状況が発生したら、「動じない」心で、自分や周囲を客観視してみましょう。

「禅」の実践によって身につく効果の一つとして「動じない心ができる」ことがあります。動じない心が身につくと、良い時であっても、困難な時であっても、冷静に自分の心と向き合い、周囲の状況も正しく見ることができるようになります。これを客観視といいます。自分や周囲の状況を正しく見ることができれば、正しい次の手を打つことができます。

客観視のやり方は、まず、姿勢を正して座り、ゆっくりと深く3回ほど呼吸してみましょう。そして別の自分が、自分を観察している状態を作ります。まずは自分の心と向き合い(観察)、今、動じているのか、あわてているのか、冷静なのか、落ち着いているのか観察します。次に、自分の周囲の状況を観察してみましょう。人は、悪い事象の方に目がいきがちですが、良い事象にも目を向けてみましょう。普段当たり前にある事象や良い事象に、人は気が付きにくいものです。

冷静に見れば、自分にとって、絶対失ってはいけないものは何か?、失ってもよいものは何か?の区別がはっきり見えてきます。これは人生をどう生きるかという問いでもあります。生きることに向き合うということは、死とも向き合うということです。もし、あたなの寿命があと1週間だとしたら、あなたは何をしますか?その問いの答えの中に、あなたが絶対失ってはいけないと考える内容が入っています。そして、それ以外のものは、失ってもたいしたことはない、あるいは回復可能なものでしょう。