幸福を得る生き方の哲学

「私は無宗教です」
「神仏は信じていません」
「誰の世話にもなってません」

という人が増えています。常に自分は正しいと思っています。

「宗教」とはなんでしょう?

人は元来、「貪瞋痴」に表現されるように、弱い生物です。
科学技術が発達し、いろんなことがわかってきましたが、人間は、この世の、すべての事象がわかっているわけではありません。

自分の目で見える事象、自分が理解している事柄だけで、本当に、正しく事象を把握しているでしょうか?

自分が見えている範囲だけで、自分が正しいと思うこと。そして、地位も名誉もお金も与えられると、人間は傲慢になります。傲慢な人間ほど、自分が正しいと思うようになります。これが戦争にも繋がっていきます。ここに「宗教(生き方の哲学)」が必要になります。

お釈迦様は、「人間」という生き物をよく観察しました。人間の持つ「良い部分」「悪い部分」。洞察し、そして、皆が幸福な人生を送れる方法「八正道」を説きました。

人間が陥りやすい「傲慢」。「傲慢」になると、すべて自分に都合が良いように解釈します。そして、敵を増やし、いつも落ち着かない戦闘状態である「修羅界」に陥っていきます。また周囲の人間は離れていきます。

「仏教」というと「お葬式」?そうではありません。
皆が幸せに暮らせるように、「傲慢」を打ち消し、謙虚な姿勢へ導いてくれるのが宗教。結果として、修羅界に落ち込まず、心穏やかに生活でき、敵が増えず、心が安定し、正見を得て、正しい判断ができるようになります。これが人間としてのベースを作っていきます。

「誰の世話にもなっていません!」本当?
あなたが食している食べ物は、命を殺し、誰かが採ってきた物。それでも「誰の世話にもなっていません」と言えますか?毎日使っている電気・ガス・水道は?すべて、なんらかの因果の結果、あなたは、それを享受できているのです。

家族・友人・隣人・職場の人、水、空気、そして、この地球環境も、あなたを支えてくれています。よく自分の周りを観察・洞察しましょう。きっと、「傲慢」が消え、「感謝」の気持ちが湧いてくるでしょう。

そうすると、心は落ち着き、幸せに生きることができます。また、人から信用されます。
「私は無宗教です」=「私は何をするか分からない人です」と言っているようなもの。人間の傲慢さの歯止め。これが宗教。

自分が傲慢になっていないか、たまには瞑想して自問自答してみましょう。
すべては観察から始まります。