法話2:なぜ供養するのか?

お葬式から始まり、満中陰(四十九日)、一周忌、三回忌、七回忌と法事が続きます。これらは追善供養といいます。以前、女子高生から、「なぜ供養をしないといけないのですか?」という質問がありました。住職はびっくり。住職の経験上、供養をきちんと行っている家と、そうでない家とでは、後々、差がついてきます。供養を行っている家は栄え、行っていない家は衰退していきます。

なぜ、法事・供養を行うのでしょうか? 法事・供養には下記の3つの意味があります。

1.先祖・故人に感謝すること

今、皆さんがここに存在していること。これは、両親、祖父祖母をはじめ、先祖代々が命を繋いできたからです。命を繋ぐとは、けっして容易なことではありません。人生において、若い間は楽しいこと、嬉しいことも沢山あります。しかし人生山あり谷あり。仕事では順調なときも、苦しいときにも遭遇します。離婚してしまう人もいるでしょう。後半には、さらに辛いことも増えてきます。親族や両親、友人を見送ったり、病気もするし、老いて苦しんでいったり。人生とはそういうもの。そうやって先祖は、苦しい人生の中にあっても、なんとか生きてきました。そして命を子孫に繋いできているのです。誰かが、命のリレーを途中で放棄していたら、今、あなたはここに存在していないのです。ですから、先祖が苦労して繋いできた結果の命ですから、自身を大切に育まないといけません。そして、苦労しながら命を繋いでくれた先祖・故人に感謝をする、これが供養の1つ目の意味です。

2.先祖・故人を思い出してあげること

苦労して命を繋いでくれた先祖に感謝するとともに、たまに思い出してあげること。これが供養の2つ目の意味です。三回忌、七回忌、十三回忌…と法事が続きますが、こういった法事は、故人を思い出してあげる機会となります。そして、親族・縁者が集い、故人を偲ぶ機会となり、そこでの情報交換、連帯も大切なことです。

3.人の生き様・死に様を見て、自分の生き方を省みること

先祖・故人の生き様・死に様を見て、自分の人生を省みること。どのように生きるのがよいのか考えること。これが供養(法事)を行う3つ目の意味です。法事で故人を思いだして、親族・縁者と、こうだった、ああだったと思い返すとき、それでは今の自分はどうなのか?と省みる、反省することです。また法事ではお坊さんが、いろんな法話をしてくれます。仏教は、「人として、どう生き、どう行動すると幸せになれるのか?」を説いています。五戒・三毒・八正道・座禅/瞑想の効果等々。これを聞く機会としても供養には意味があります。

五戒は、「むやみに生き物を殺してはいけません」「人の物を盗んではいけません」「嘘をついてはいけません」「不倫をしてはいけません」「お酒を飲んで(酔って迷走して)はいけません。」とありますし、八正道の中には「言葉使いは丁寧に。暴言を吐いてはいけません」が含まれているし、人間が陥りやすい三つの毒(三毒:貪り・怒り/憎しみ・愚痴)には特に注意しなさい、などなど。これらは実践していると、自分の脳が痛んできます。心が病んできます。そうすると平常・冷静な脳(心)が保てなくなります。その結果、判断を間違えるようになります。実践していると、いつも誰かに狙われているとか、いつもビクビクして落ち着かない状態に陥ります。心が平穏でなくなるという修羅の世界に入ってしまいます。

最近ニュースでよく報道されるような、芸能人で不倫した人は、心が平穏ではいられない状態になっているでしょう。人の物を盗んだり、嘘をついたりしている人も、人に暴言を吐いている人も、いつも落ち着かない同様な状態になってしまいます。
お釈迦様は、人間という生き物が陥りやすい闇を観察・洞察してよく知っていました。子供の頃からお釈迦様の智慧を知っていたなら、こういった闇に陥ることもなかったはずです。
供養を行っている家は繁栄し、行っていない家は衰退するというのは、自分の生き方を省みる、お釈迦様の教えを聞く機会ができるということに、一番関係しているように思います、

地位も名誉も財産も手に入れた人が、最後に悩むこと。「本当に自分は幸せになれているのか?」本当の幸せとは、日常の平穏・心の平穏ではないかと気づきます。禅が目指すのは心(脳)の平穏と正見(正しい判断)です。朝、日が昇り、ご飯を食べ、家族の笑顔を見て、また日が沈むといった、淡々とした平穏な日常。これが一番の幸せだと気がつけるかどうか。