配信・音響システム完成!

マインドフルネスのオンライン講座や実践会、オンライン法要などに使う「配信・音響システム」が完成。普段はYouTubeライブカメラ配信にも使っています。

法話3:どうすれば、脳(心)の平穏を得られるのか?

現世のニュースを見ていると、三毒(貪瞋痴)に侵され、修羅界(常に争いが絶えない場所)に陥っている人が増えてきたように思います。人間が侵されやすいので、特に注意しなさいとお釈迦様が教えてくれた三毒。

・貪(とん):いくらでも、際限なく欲しいという欲求
・瞋(じん):怒り・憎しみ・憎悪
・痴(ち):愚かな行為い、愚痴、無知(正見を知らない/世界の構造がわかっていない)

貪(とん)に侵されている人はよくみかけます。代表例は日産のゴーンさんかな。
瞋(じん)に侵されている人も最近よくみかけます。代表例は、あおり運転や児童虐待で逮捕された人かな。
痴(ち)に侵されている人もよくみかけます。例えば、貪(とん)が抑制できず愚かな行為に走り、不倫で家族を失った芸能人や、駅のホームで大声をあげて駅員に絡んでいる人かな。

この三毒に侵されると、本人は侵されたことに気づかず、また、関係した人にも、この毒が移っていくのです。三毒は蔓延しやすい。コロナウィルスに感染した人を誹謗中傷するのも、瞋(じん)に相当します。自分の身近でコロナが発生し、自分にも移るのではないかという恐怖心が瞋(じん)を引き寄せます。恐怖心を抱いた瞬間に、脳(心)が平穏からはずれ動揺しているのです。

脳(心)の動揺は、愚かな行為にも繋がっていきます。オレオレ詐欺などは、こういった脳(心)の動揺という心理をついた詐欺でもあります。もし、脳(心)が平穏であれば、このような詐欺や貪瞋痴から免れることができます。

いろんんことを知らない、世の中の構造を知らない、この世界がどうなっているのか知らないのも無知という毒です。したがって、いろいろ経験したり勉強したりして、脳(心)の平穏を保つには、多くの経験や幅広い知識を持っておくほうが、よりよいことです。
正しく見るという「正見」とは、事実や状況をよく観察して、的確に把握する、理解するという意味です。

脳(心)の平穏を保つには、まず三毒を意識し、これには注意することです。

次に、できる範囲で五戒を遵守することです。
・むやみに生き物を殺さない
・人の物を盗まない
・嘘をつかない
・不倫をしない
・お酒を飲んで、愚痴ったり、暴れたり、泥酔したりしない

これらは、すべて脳(心)を乱し、平穏な脳(心)を壊す要因となります。

そして、究極は八正道を実践することです。
八正道の要素のうち、脳(心)を平穏に保つための重要なキーワードの一番目は「正語」です。もし世界に自分一人なら「語(言葉)」は不要です。「語(言葉)」は必ず相手にかけるものです。このとき、お釈迦様は、「正語」を実践するようにと説かれました。「正語」とは、直訳では「丁寧な言葉使いをしなさい」ということですが、お釈迦様の根底にあるのは「慈愛と利他」の精神。またお釈迦様は、「観察と洞察」を重要視しています。このことから「正語」を訳すと、「相手の状態をよく観察して、相手にとって一番よい言葉を選び丁寧な口調で声をかけてあげること」ということになります。同じ人でも、その時の状況によって脳(心)の状態が日々変わっています。よく観察してから言葉をかけましょう。暴言や誹謗中傷は発した人も受けた人も、脳(心)が双方で痛み、平穏が失われる大きな要因となるので厳に慎みましょう。現代の情報化社会・ネット社会では、この「正語」の実践がたいへん重要な意味を持ってくると思います。

次に重要なキーワードは「正定」。これは安定の定。何が安定するのかと言えば「脳(心)」です。「正定」は修行によって得られます。厳しい修行を行うことで、ちょっとしたストレスはストレスと感じなくなります。心の鍛錬でもあります。お坊さんのやっている修行だけが鍛錬ではありません。スポーツ選手の日々のトレーニングも、受験勉強も、会社での仕事も、すべて耐える修行です。そして脳(心)の平穏を得るためのテクニックがあります。それは「呼吸」と「姿勢」です。座禅も「正定」を得るための実践の一つです。

次は「正念」。これは英語表記ではmindfulness(マインドフルネス)です。マインドフルネスには奥深い内容がありますが、簡単に表現すると、「今目の前で起こっている事象をよく観察し、それに集中すること」であり、そして必ず呼吸を入れながら意識を集中して観察することです。究極の形は自己の脳(心)の客観視ができるようになることです。自分の脳(心)の状態を、別の自分が見ている客観視の状況を作れるかどうか。その訓練を行うのがマインドフルネスの実践です。

どんな事象が起こっても、呼吸を入れながら自己の脳(心)を客観視できるようになると、冷静に観察できるようになり、三毒には侵されず、パニックにもならず、常に冷静な脳(心)を保つことができるようになります。これが「正見」と「正思(正しい考え方)」へと導いてくれます。結果として、どんな困難な状況であろうとも、正しい判断ができるようになります。三毒に侵されている人をみかけたとき、「この人は三毒に侵されているな!」と冷静に観察できるようになり、このような客観視ができるようになると、暴言を吐かれても、自分の脳(心)を痛めることが無くなります。

正しい判断ができていれば、脳(心)は常に平穏でいられるのです。般若心経に書かれている内容が理解できれば、真に動揺する場面などは、人生の中にそうそう多くは発生しないことがわかります。不安に思うようなことは、実はたいした不安ではなかったということがわかります。

最後に、脳(心)の平穏を保つための根底にあるのは、「慈愛と利他」の精神です。これを実践している人は、敵を作らず、人から愛されます。困っていればなにかしらの助けが入ります。

人間のストレスや不安は、経済の問題、対人問題、四苦(生老病死)と八苦(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)から発生します。ストレスや不安は三毒を引き寄せる要因であることを理解しましょう。ストレスや不安を感じたら、「今、自分は不安を感じているな!」と客観視し、深い呼吸を入れましょう。

「慈愛と利他」を実践し、五戒を遵守し、そして八正道を実践し「正見」が備われば、なるほど!平穏な脳(心)を得られるんだな!ということが理解できましたか?

 

法話2:なぜ供養するのか?

お葬式から始まり、満中陰(四十九日)、一周忌、三回忌、七回忌と法事が続きます。これらは追善供養といいます。以前、女子高生から、「なぜ供養をしないといけないのですか?」という質問がありました。住職はびっくり。住職の経験上、供養をきちんと行っている家と、そうでない家とでは、後々、差がついてきます。供養を行っている家は栄え、行っていない家は衰退していきます。

なぜ、法事・供養を行うのでしょうか? 法事・供養には下記の3つの意味があります。

1.先祖・故人に感謝すること

今、皆さんがここに存在していること。これは、両親、祖父祖母をはじめ、先祖代々が命を繋いできたからです。命を繋ぐとは、けっして容易なことではありません。人生において、若い間は楽しいこと、嬉しいことも沢山あります。しかし人生山あり谷あり。仕事では順調なときも、苦しいときにも遭遇します。離婚してしまう人もいるでしょう。後半には、さらに辛いことも増えてきます。親族や両親、友人を見送ったり、病気もするし、老いて苦しんでいったり。人生とはそういうもの。そうやって先祖は、苦しい人生の中にあっても、なんとか生きてきました。そして命を子孫に繋いできているのです。誰かが、命のリレーを途中で放棄していたら、今、あなたはここに存在していないのです。ですから、先祖が苦労して繋いできた結果の命ですから、自身を大切に育まないといけません。そして、苦労しながら命を繋いでくれた先祖・故人に感謝をする、これが供養の1つ目の意味です。

2.先祖・故人を思い出してあげること

苦労して命を繋いでくれた先祖に感謝するとともに、たまに思い出してあげること。これが供養の2つ目の意味です。三回忌、七回忌、十三回忌…と法事が続きますが、こういった法事は、故人を思い出してあげる機会となります。そして、親族・縁者が集い、故人を偲ぶ機会となり、そこでの情報交換、連帯も大切なことです。

3.人の生き様・死に様を見て、自分の生き方を省みること

先祖・故人の生き様・死に様を見て、自分の人生を省みること。どのように生きるのがよいのか考えること。これが供養(法事)を行う3つ目の意味です。法事で故人を思いだして、親族・縁者と、こうだった、ああだったと思い返すとき、それでは今の自分はどうなのか?と省みる、反省することです。また法事ではお坊さんが、いろんな法話をしてくれます。仏教は、「人として、どう生き、どう行動すると幸せになれるのか?」を説いています。五戒・三毒・八正道・座禅/瞑想の効果等々。これを聞く機会としても供養には意味があります。

五戒は、「むやみに生き物を殺してはいけません」「人の物を盗んではいけません」「嘘をついてはいけません」「不倫をしてはいけません」「お酒を飲んで(酔って迷走して)はいけません。」とありますし、八正道の中には「言葉使いは丁寧に。暴言を吐いてはいけません」が含まれているし、人間が陥りやすい三つの毒(三毒:貪り・怒り/憎しみ・愚痴)には特に注意しなさい、などなど。これらは実践していると、自分の脳が痛んできます。心が病んできます。そうすると平常・冷静な脳(心)が保てなくなります。その結果、判断を間違えるようになります。実践していると、いつも誰かに狙われているとか、いつもビクビクして落ち着かない状態に陥ります。心が平穏でなくなるという修羅の世界に入ってしまいます。

最近ニュースでよく報道されるような、芸能人で不倫した人は、心が平穏ではいられない状態になっているでしょう。人の物を盗んだり、嘘をついたりしている人も、人に暴言を吐いている人も、いつも落ち着かない同様な状態になってしまいます。
お釈迦様は、人間という生き物が陥りやすい闇を観察・洞察してよく知っていました。子供の頃からお釈迦様の智慧を知っていたなら、こういった闇に陥ることもなかったはずです。
供養を行っている家は繁栄し、行っていない家は衰退するというのは、自分の生き方を省みる、お釈迦様の教えを聞く機会ができるということに、一番関係しているように思います、

地位も名誉も財産も手に入れた人が、最後に悩むこと。「本当に自分は幸せになれているのか?」本当の幸せとは、日常の平穏・心の平穏ではないかと気づきます。禅が目指すのは心(脳)の平穏と正見(正しい判断)です。朝、日が昇り、ご飯を食べ、家族の笑顔を見て、また日が沈むといった、淡々とした平穏な日常。これが一番の幸せだと気がつけるかどうか。

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講話「量子の世界とマインドフルネス」

直近の素粒子論からわかってきたこと。念じることが物質(量子)に影響するということです。不思議なことですが、皆様が普段、想っていることや祈りという意識は、3次元の物質空間に影響を与えています。平和を願う気持ちや愛する人を守りたい、ご先祖に感謝する祈りや念は、意識を通じて、この世界に影響を与えることができるのです。

 

法話(寺ブログ)へのリンク

法話1:人は死んだらどうなるか?

法話2:なぜ供養するのか?

法話3:どうすれば心の平穏を得られるのか?

法話4:迷ったとき、どうすればよいか?

法話5:人の品格とは何か?

法話6:イライラを抑え、幸福になる方法/

法話7:人間の本質は「傲慢」

法話8:見えないものは存在しないのか

法話9:今を生きる

法話10:感謝の念は心を安定させ、ストレスを軽減する

法話11:悟りを開き、穏やかに生きるために!

法話1:人は死んだらどうなるか?

「人は死んだらどうなるか?」
人類誕生以来、この問いに人々は向き合い、いろんなことを想像してきました。職業上、亡くなった方と対面することが多い中で、住職もいろいろ思考してきました。

科学技術が発達し、我々が住んでいる世界、この宇宙の謎も、まだほんの少しだけですが、わかってきたこともあります。宇宙はビックバーンから始まった。そして宇宙は膨張し続けている。さらに、我々が住んでいるこの宇宙(世界)は、なんらかの法則が支配している。物を投げれば落ちてくる物理法則も、その一つ。生まれた生物は必ず死ぬ、寿命があるというのも法則の1つ。現存するすべての物質は常に劣化し変化していくことも、この世界の法則。科学技術者は、この世界(宇宙)を支配している法則を見つけようと、様々な研究を重ね、物理学、電磁気学、量子力学、相対性理論等々、法則の一部を理解するに至っています。科学技術は、理論・実測・実証という過程を経て、法則(真理:絶対普遍な事象)を見出していきます。

一方、人間の持つ観察力・洞察力で、この法則を見出した人物がいました。お釈迦様(ゴータマ・シッタルーダ)です。お釈迦様は2500年程前におられた人物ですが、好奇心旺盛で、観察力と洞察力がずば抜けた超人であったように思います。(お釈迦様の生い立ちから亡くなるまでの生涯については、ここではお話をしません。)

お釈迦様は、その超人的な観察力と洞察力により、我々が住んでいる、この世界(宇宙)について、現在の科学技術で少しわかり始めた宇宙(世界)の構造を、2500年程前に、すでに理解していたと思われます。お釈迦様が説かれた「般若心経」には、我々が住む世界(宇宙)について記述されています。

「般若心経」は、全600巻で構成された「大般若経」という経典の、エッセンスだけを抽出し、280文字程度にまとめた経典です。(ふりがながありますが、皆さんがよくご存知の読み方と異なっていますね。元々はサンスクリット語で読まれていた経文を、玄奘三蔵法師が漢字に翻訳し、黄檗宗では中国明時代の発音で読むので、このような発音になっています。日本でよく読まれる発音は漢字の音読みです)

般若心経(中国民時代の発音で表記)

この「般若心経」には、我々が住んでいる世界(宇宙)のことが書かれています。「般若波羅蜜多」とは、「理想郷に行くための智慧」という意味。この経文は、読むだけでご利益があるとされ、お経の中でも一番有名ですね。呪文の部分もありますが、実は、ちゃんとしたお話として書かれています。この法話では、この世界に関する記述の部分についてのみお話をします。

・「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。」
観音菩薩は、理想郷について深く考えていた時に、世界を構成する要素は五蘊(色・受・想・行・識)であり、それらはすべて空(くう)であることがわかった。これがわかれば、すべての苦しみから逃れることができる。

注)五蘊(ごうん)とは、世界を構成する、すべての要素。
1.色(しき)=物質・肉体(魂)
2.受(じゅ)=魂が行う感覚
3.想(そう)=魂が行う思考
4.行(ぎょう)=魂が行う行動
5.識(しき)=魂が行う認識

注)空(くう)とは、これまで「空っぽ・何も無い」と訳されてきたが、「空」を「実在する場」と理解すると、般若心経に書かれている内容がより明確となる。

・「舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。」
舎利子(シャリープトラ)よ。色(しき)は空(くう)とは異ならない。また空(くう)は色(しき)とは異ならない。色(しき)は空(くう)そのものであり、また空(くう)は色(しき)そのものである。色(しき)が行う「受想行識」もまた同じである。
注)舎利子(シャリープトラ)とは、釈迦の弟子の人物名

・「是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。」
空(くう)の一部である空相(我々の住む世界・宇宙)は、諸法が支配しており、諸法は、生せず、滅せず、垢れも浄くも無いし、増えもしないし、減りもしない。

諸法とは、我々が住んでいるこの世界(宇宙)を支配している法則。物理法則もその一つ。すべての物は「無常(常で無い)」、常に変化していくというのも諸法の1つ。生老病死も免れることはできないし、愛別離苦(愛する人とは必ず別れが来る)苦しみも諸法。

・「是故空中。無色無受想行識。無眼耳舌身意。無色聲香味觸法。
それゆえ、空(くう)の中においては、色(しき)も無く、受想行識も無い。目で見ることも、耳で聴くことも、舌で味わうことも、身で感じることも、意識することも無い。

つまり「般若心経」には、

「我々が住んでいる世界(宇宙)は、空(くう)という場から生じた一部である空相であり、その空相の中で我々は生命活動を営んでいる。」

「空(くう)」に入れば、そこには肉体(魂)も無く、受相行識も無ければ、体で感じる音も味も触覚も意識も無くなるのだとと言っている。

「色即是空・空即是色」とは、我々の色(魂)は空(くう)の世界と繋がっており、そこへ行ったり来たりするのだよと言っている。

現代の科学技術で少しわかってきたこと。宇宙がビックバーンから始まった。ではビックバーンの前はなんだったのか?それが空(くう)という場であろうと思われる。ただし、空(くう)は、時間も空間も無い、エネルギーだけが満ちている場で、人間の肉体(魂)や五感では、感じたり認識できないエネルギーフィールドである。最近の素粒子論では、ヒモ理論が登場し、素粒子もいくつかの種類に分類され、それらが世界を構成しており、そこから導かれたのは、我々が住む次元は3次元+時間の世界だが、素粒子の理論から、世界は11〜12次元ぐらいあるとか。3次元に住む我々は見ることのできない次元が、確かに存在しているようです。その一つの次元が、たぶん「空」の次元なのでしょう。

「般若心経」の後半には、「これは真実で、嘘ではない。これがわかれば、恐怖することは何も無くなるよ。」と書いてあります。科学技術が発達したからといって、我々が住むこの世界について、すべてを知ったわけではありません。人間の目では見えないもの、認識できないものが、まだまだあるはずです。自分の目で見たこと、自分の意識で理解した事象だけで、すべてのことがわかったと思うのは人間の傲慢です。鋭い観察力と洞察力で、この世界の真理を見抜いたお釈迦様は、人間は死んだ後も、空(くう)の世界に展開したり、戻ったりするのだとと教えてくれています。我々が住む世界がどうなっているのか、この世界を支配している諸法「無常」を理解すれば(正見)、「死」すらも、あまり怖いことではなくなるということをお釈迦様は説いているように思います。

(追伸)

仏教の教えの根源であるお釈迦さま(ブッダ)のお話を追記しておきます。

ブッダは、苦しみはどこから来るのか、その原因は何かを知ろうとして、6年間、苦行をしてみました。しかし、苦行しても、その原因を掴むことができず、苦行をやめ、洞察に入りました。そして、洞察により、以下の真理を発見しました。

・苦しみは明らかに存在している
・その苦しみには、原因がある。
・苦しみの原因がわかれば、苦しみは減らすことができる。
・苦しみを減らす8つの方法がある。

この4つの真理を四聖諦(ししょうたい)といいます。そして、苦しみを減らす8つの方法を「八正道(はっしょうどう)」といいます。八正道の1つが「正念(しょうねん)」。英語では「Mindfulness(マインドフルネス)」です。

四聖諦、八正道、正念のお話は、ここで書くと長くなるので、「マインドフルネス講座」のページをご覧ください。

もし、読者が苦しんでおられるのであれば、その苦しみを減らす方法をひとつお話しておきます。ブッダは苦しみの原因は、自分の心の中にあると言っています。今、コロナ禍で苦しんでいる人、あるいは病気・事故・人間関係などで苦しんでいる人がたくさんおられます。住職は「住職のなんでも相談室」を設けています。様々な相談がありますが、すべての方にお話を差し上げるとしたら以下のようなお話になります。

自分が中心で世界が回っているわけではなく、自分が存在しようが、しまいが、この世界や自然は淡々と進んでいきます。しかし、この世界や、我々を取り巻く自然は、この世に生きる、すべての人間、生物に、大きな愛情を注いでくれています。まず、そのことに気づきましょう。そして、苦しみの原因が、自分の心、自分の中にあることに気づきましょう。ブッダは、そのことに気づき、我々に教えてくれています。苦しみの原因は何かを突き詰めると、それは、自分自身の命や、自分の財産、自分の大切な人、大切な物などを、守りたい、失いたくない、あるいは失ってしまったという不安や後悔(執着心)から苦しみが生まれていませんか?そういう守りたいもの、守りたかったもの、失った事象を一度捨ててみましょう。あきらめてみましょう。これは、投げやりになれと言っている訳ではありません。ブッダは、「この世に存在するものは、すべて無常である」ことを発見しました。「無常」とは「この世に存在するものは、すべて常で無い、常に変化している。永遠に続くものはひとつも無いのだ」という意味です。人生がうまくいかないのも、そもそも、この世界はそのようにできているのだということ、それが普通なのです。病気も同様です。緻密で精巧な細胞と臓器を持つ人間の体が何十年も壊れずに存在できていたなら、そのほうが奇跡的なことで感謝すべきことです。壊れて病気になるほうが普通なのです。これが、我々が住む世界の真理です。思うようにいかないのが普通。真理なので、我々が、いかにもがいても変わらないということです。

「この世は無常なのだから、しかたがない、あきらめるか。。。」としてみましょう。「頑張ってきたけど、もう無理だな。。。これは、どうしようもないな。いったん、あきらめるとするか。。。。」としてみましょう。苦しんでいる事象をいったん手放してみましょうということ。すると、あら不思議。今まで苦しんでいた心が解放され、不安の無い、冷静な心の状態が戻ってきます。そのとき、あなたは気がつくはず。「自分の苦しみは、自分の周囲に原因があるのではなく、自分の心が生み出していたんだなあ。」と。あるいは、羞恥心を捨て、素直に、近くにいる人や住職に相談してみるのもよいでしょう。素直に

もし、財や名誉や物を失うことの不安だとしたら、話は簡単。別に失ったっていいじゃないですか。財や名誉や物であれば、失っても、また取り返せるかもしれないし、取り返せなくても、あした、また太陽が上ってくるのを見ることもできるし、すがすがしい息もできるし、貧しくても、おいしいお米を食べれるし、家族や友人と会って話をすることもできる。まずは、それで十分ではないですか。禅の用語で、「足るを知れ(たるをしれ):知足(ちそく)」といいます。

これは投げやりになれと言っているわけではなく、執着心を一度捨てる、あきらめることで、自分のマインドを不安の無い、正常な状態に戻すための知恵なのです。そして正常なマインドに戻った状態(正見・正思)で、また、次の一歩を考え、踏み出せばよいのです。その状態に戻れば、「この世界や、我々を取り巻く自然は、この世に生きる、すべての人間、生物に、大きな愛情を注いでくれているんだ」ということに気づけます。

「般若心経」に書かれている内容を正しく理解できると、苦しみや不安は無くなります。また、下記の別ブログ「今を生きる」も参考にしてみてください。

https://www.myouhou-ji.com/ja/blog-post/今を生きる/

さらに、こちらのページには、法話ブログへのリンクを貼っていますので、一読ください。

https://www.myouhou-ji.com/ja/funeral/

講話:今月の講話のテーマは、「量子の世界とマインドフルネス」です。

直近の素粒子論からわかってきたこと。念じることが物質(量子)に影響するということです。不思議なことですが、皆様が普段、想っていることや祈りという意識は、3次元の物質空間に影響を与えています。平和を願う気持ちや愛する人を守りたい、ご先祖に感謝する祈りは、意識を通じて、この世界に影響を与えることができるのです。毎回、幸泉博士から仏教に関わる講話がありますが、今回は特別講座として住職が担当致します。

本実践会に関するお問合せは、今回は、妙法寺へ直接お問合せください。